羽鳥操の日々あれこれ

「からだはいちばん身近な自然」ほんとうにそうなの?自然さと文化のはざ間で何が起こっているのか、語り合ってみたい。

命の源

2006年02月15日 10時19分37秒 | Weblog
 蛍光現象に興味をもたれた先生は、さまざまな石を試された。
 なかでも思いがけず美しかったのはポーランドの岩塩だった。
 塩の結晶形は、キュービック型だが、このポーランドの結晶は、かなり大ぶりで見事なキュービック型をしている。紫外線照射器を当てると、ロマンティックオレンジの色が、立ち上がる。幽玄な趣。結晶の中心部に吸い込まれる輝きを見せる。強く光線が当たっているところから、周辺部に向けて放射状に広がる輝きは、グラデーションを見せてくれる。
 自然光で見る結晶形のときよりも、もっとその鉱物の角度を明確に縁取って、輪郭が鮮明となる。
寒冷地・乾燥地だからこその結晶。命の塩は、いのち以上に神秘性をたたえて静かなのだ。この岩塩は、自然光でも美しい透明な結晶だ。
 岩塩の洞窟のキリスト教会の写真を見たことがあるが、どこの国だったか失念してしまった。もし、あの空間が蛍光現象を見せてくれる空間だったら、それこそ地上における天国そのものではないかと思うのだが。

 日本のような湿潤な地域では、見事な結晶形を持つ岩塩は産出しない。ある意味で岩塩の故郷は、かなり厳しい気象条件に見舞われる地域だと考えてよさそうだ。
 今では、岩塩はデパートでも手に入る。料理には欠かせない調味料になりつつある。産地によって、含まれる不純物のミネラルが異なっていて、それが味の違いを生み出してくる。料理は塩加減。
「塩梅」という言葉は、料理から発して、程合い・具合・バランスにまで比喩的使われるようになっているし、塩をもる器をおてしょ(お天塩皿)といい、「手塩にかける」というと面倒をみることをいとわず丁寧に育てる意味まで、「塩」は含蓄が深い。

「抽象語を遡ると身体や身体の感覚や、具体的なものや出来事にたどり着くんですよ」
 野口先生の言葉が、「塩」を通して、納得なのである。

 命の源は、ミネラルにあり。
「東京国際ミネラルフェア」が開催されて間もないころはしばらくの間、自然食品のフェアか、ミネラルウォーターのフェアだと、勘違いする人が多かった。

 かれこれ20年。当時を思い出すと隔世の感を抱く。
 ミネラル趣味は、かなり市民権を得たようだ。
コメント
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