羽鳥操の日々あれこれ

「からだはいちばん身近な自然」ほんとうにそうなの?自然さと文化のはざ間で何が起こっているのか、語り合ってみたい。

半透明の美

2006年02月14日 06時12分08秒 | Weblog
「これは、重晶石、タングステンの原料になる石ね」
 黒水晶の群晶の裏を返すと、純白にちかい照りのある石が、ほのかに紅色に輝いている。
 この重晶石は岩国あたりで多く産出している。
「山に入るときに携帯用の紫外線照射器を持っていったら面白いでしょうね」
「確かに、ルーペや双眼実体顕微鏡なども、自然の見方を変えてくれるよね」

 こんな会話を野口先生と交わしたのは、かれこれに二十数年前になる。
 日本では、まだまだ鉱物や化石に対する一般の関心は、薄かった時代だ。
 石の価値は、ダイヤモンド・エメラルド・ルビーといった宝石類、金・銀・銅の貨幣金属などは、高価なものとして高嶺の花だった。そういうものが石の世界だと思い込んでいた。

「金閣寺を見よ」といわれるまでもなく、日本の技術は、向こう側が透けて見えるほど薄く金をのばす技術を持っている。いわゆる「金箔」と呼ばれるもので、工芸品のあらゆる場面で美しさを醸し出している。

 そういえば、歴史の本に書いてあった。「黄金のジパングは、ヨーロッパ人の憧れだった」と。
 そしてインドを求めた航海は、間違って南米大陸に行ってしまった。そこで、南米からは銀にまつわる悲劇が起こった。
アフリカからはダイヤモンドが、インド・スリランカからはルビーやサファイヤなどなど、大量にヨーロッパに運ばれていった。
 そこには、人を人を認めない恐るべき考えがある。
「インディオは果たして人間か」というばかげた裁判が、大真面目に行われた歴史まで存在するのだから。

 しかし、一方で、紫外線の発見は、エックス線の発見よりも古い。今では、日常的に蛍光現象を、生物学・医学・医療に応用している。そのことによって受ける恩恵について、多くの人が知る時代となっている。

「日本は、中国とともに、というか中国の影響で、玉の国だよね。とくに玉のもつ半透明の美しさに価値を与えているでしょ」
 甲骨文字研究に心酔しておられた先生は、中国の青銅と玉への思いを語られていた。

 何を美しいと感じ、何を価値と感じるのか、それはその文化によって・文明によって異なっている。
「なんだか蛍光現象を見ていると、ダイヤモンドに目がくらんだお宮の熱海の海岸のシーンは、なんだったんだろうと思いますわね」(注あり)
 大正生まれの母が、つぶやいた。
 先生も大声で笑っておられた。

 日本が、西洋に追いつきたいという思いから価値だと思い込んだものは、いったいなんだったのか。
「僕は、価値というものは、他人が決めるものではなく、自分が決めるものだと思っているんですよ。いや、そう思いたいのね。何を価値と感じるののか、その前に、今、自分のこの目に見えるもの、耳に聞こえるもの、それが絶対ではない。もっと他に知らないもの、気づかないもの、見過ごしてしまっているもののなかに、ものすごく貴重な何かがあるんじゃないかって、思いながら触れていくこと」

 確かに、こうして目の前で今まで見たこともない「美の世界」が繰り広げられると、ダイヤモンドの価値は、一気に下がってしまった。
「岩塩は、なめると辛いんですか」
「そうよ。なめてみたら」

 確かに塩だ。それが内包する不純物・夾雑物によって、これほど美しく輝く。すべての岩塩が輝くわけではない、というところがミソだ。
「つまり、先入観を持たないで、ものに触れる。人に触れる。自分に触れるってこと」
 先生の話は、『原初生命体としての人間』に繋がっていった。
「半透明の美しさについても書いているし、いちばん言いたかった先入観を捨てること、そこをもう一度読み直してみて」

 野口先生にとって、岩石・鉱物の蛍光現象にたどり着く道は、必然だったのか、などとそのとき思いつつ、ダイヤモンドならぬ蛍光現象に目がくらんだ。

注:「金色夜叉」小説。尾崎紅葉原作。富のために許婚の鴫沢(しぎさわ)宮を富山唯継に奪われた間(はざま)貫一が高利貸しになり、金の力で宮や世間に復習をしようとする物語。明治30年以降読売新聞小説として連載後、1903年に続編を「新小説」に発表した。私が子供のころに、「熱海の海岸散歩すりゃ」から始まる流行歌がはやった。学芸会や余興に、熱海の海岸の「今月今夜のこの月を」という台詞をいう役がやりたい人が、役取りでちょっとしたいざこざがあったりして。
 こういうことを知っている人は、団塊の世代から上の人? かしらね。
コメント (1)
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