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羽鳥操の日々あれこれ

「からだはいちばん身近な自然」ほんとうにそうなの?自然さと文化のはざ間で何が起こっているのか、語り合ってみたい。

怖さ

2006年02月08日 09時18分59秒 | Weblog
 2月5日の逆立ちの話に、メールをいただいた。
 その日に思いがけず、逆立ちになってしまった女性からだった。
 きっと私のことに違いないと思っています、という前提で書かれたメールだった。
 
 皆さんの前で、「逆立ちしてみませんか」と、羽鳥に促され、思わず「怖い」という言葉が口をついて出てしまった。そのとき、その場の雰囲気が、とても暖かくて皆さんが心から後押しをしてくれるいい感じが伝わってきた、というような内容でした。
 そして、野口三千三先生の時代も、きっとこんな風に暖かい教室の雰囲気のなかで、皆さんがエールを贈りながら、逆立ちを練習していたのかと想像します、という受け取り方をされたとか。

 メールで返事をしようかと思ったのだが、他の人にとっても、すごく大事な話なので、ブログに書くことにした。

 一般には、出来ないときや、はじめての経験をするときに、「怖い」などと言ってはいけない雰囲気もあるということを彼女のメールから感じ取ったからだ。
 出来る・出来ないにこだわらないのが、野口体操だ。それでいて、出来たときの喜びは共有する。出来ないから、不器用だからといって、それをけなすことはしない。そのままを受けいれ合う教室だといえるかもしれない。
 しかし、ベタベタした必要以上に親近感を押し売りするようなものではない。あっさりとしていて、さりげなく気遣うもの。
 そうしたことが居心地のよさを生み出しているのだと思っている。

 いやな雰囲気で、あまりにも目に余ることや我が侭さでない限り、それぞれの気分的・感情的な揺れやゆとりを大切にする寛容さがいいなぁ、と思っている。
 そこには自然なマナーのようなものがうまれてくることを、どこかで信じているような気がする。

 そんなわけで、まだまだ逆立ちが夢のまた夢の方も、ゆっくりマイペースで歩まれることを祈っている。

「体操とは祈りである」そして「体操にとって大切なことは、畏れを感じることだ」と野口先生は言っておられた。
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