羽鳥操の日々あれこれ

「からだはいちばん身近な自然」ほんとうにそうなの?自然さと文化のはざ間で何が起こっているのか、語り合ってみたい。

からたちの花

2006年02月03日 09時05分12秒 | Weblog
 太田尚樹という著者に出会った。
 一冊目に読んだ本は、『満州裏史』講談社で、一気に読まされてしまった。
 今、読み進んでいるのは『死は易きことなり』である。
 滑らかな筆さばきに、虜になっている。
 歴史を描くには、大量の資料を駆使しなければならない。しかし、緻密に、精緻に、書かれているものは、読んでいる方がついていけなくなることがある。
 さらにその緻密さや精緻さに加えて、無味乾燥な筆致による歴史書というものも、途中放棄してしまう。
 
 とはいえ歴史読み物として、面白すぎるのも、「エッ、ホントかな」という疑念が出て、興味本位で終わってしまう読書もある。
 この著者は筆の趣は、なかなかなものだ。一読者としての私にとっては、相性がいい筆者に出会えたという感じだ。甘さがあるところがいい。

『死は易きことなり』の冒頭には、ウィーンにおける若き日の山下奉文の交友が描かれている。有馬大五郎、井上園子、田中路子、関谷敏子という、国立音大の学長や、音楽家の名が並んでいたことに驚かされたと同時に、懐かしさの観にうたれた。
 有馬先生は、私が国立に通っていた間、学長職を務めておられた。音楽表現の高度なテクニックは、ないよりはあったほうがいい。しかし、もっと大切にしたいことは、音楽・美術・演劇、その他あらゆる文化をこよなく愛する心、人として美的な魂を持ち続けること、哲学や美学といった学問の裏打ちをもって、精進することの意味を説かれていた。

 昭和二年、山下の交流はウィーンにあって、芳醇な芸術の森を散策していたことが記されている。
 とりわけ関谷敏子が歌う「からたちの花」がお気に入りで、帰国後も自宅で口づさむ軍人の姿は、筆者の言葉を借りれば「悔いても余りある取り返しのつかない結果を生む」同じ人物とは、想像だにできない。

 クーデンホーフ・光子との出会い、光子を通してドイツ人将校の娘との浅からぬ縁を持ちながらも、マニラ郊外のロス・バニョスへと突き進んでいく半生に、人間の恐さが描き出されていく。

 からたちの花が咲いたよ 白い白い花~が咲いたよ

 いま、口づさんでみた。

 隣家の庭にからたちの木が植えられている。塀を乗り越えて、枝葉が我が家にのしかかっている。一年に一度、鋏をいれる。からたちの棘は、ほんとうに痛い。太くて、固くて、鋭い棘だ。
 あの痛さを思い出しつつ、本を読み進んでいるのだが。
 実に、この内容を、象徴的するかのような「からたちの花と棘」である。
コメント
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