羽鳥操の日々あれこれ

「からだはいちばん身近な自然」ほんとうにそうなの?自然さと文化のはざ間で何が起こっているのか、語り合ってみたい。

オフィスは知っている、喜びも悲しみも

2005年09月01日 10時02分59秒 | Weblog
 戦後60年の今年、出版会もマスコミも、戦争について終戦について日本の戦後について特集を組んでいます。
 とくに8月は、テレビドラマも含めて、もう一度、日本人にとって先の戦争はなんであったのかを考えるものが、例年より目だっていたように思います。
 
 今日は、違った角度から戦後を見直してみたいと思います。
 そこで、アメリカの7年間の進駐が残していったものに「オフィス文化」があるという話題をひとつ。

 夏休みも終わって、いよいよ秋の陣がはじまったところです。ある種の緊張感が、オフィスにも漂ってくる9月。ビジネスマンやビジネスウーマンが、仕事をする風景について、くどくどとした説明はなくても誰の目にも明らかでしょう。そのくらい当たり前になっています。
 
 このスタイルが日本に普及し定着したのは比較的近年のことで、GHQ(連合国総司令部)の影響が大きかったことは、一般に知られていないかもしれません。
 戦前の日本では、江戸時代からの帳場の伝統が残っていて、机も木製がほとんどだったそうです。現在のオフィス文化は、19世紀・欧米で生まれ産業革命とタイプライターによって爆発的に広まりました。大勢の事務員がタイプライターで効率よく文書作成する場としてのオフィスが必要になったわけです。
 
 正直言って、タイプライターがパソコンに変わっただけで、19世紀と21世紀がまったく同様の映像としてみえるという、空恐ろしい感じがしますが。
 で、レンガからコンクリートへ。20世紀初頭、職場の大型化・効率化が進んだわけです。
 日本は、終戦と同時に、お堀端の第一生命ビルに、日本にはなかったスチール製の机を持ち込んだのが、アメリカの進駐軍でした。それが灰色の事務机の原型になっていったそうです。

 最近でこそオフィス内の色合いが変わってきました。しかし、職場を効率一辺倒の場としてだけ捉えるのではなく、人間的な生活の場としても捉える「ニューオフィス」の考えが台頭するには、戦後30数年の時間が必要でした。1980年代になってからのこと。
 
 もっとすすんで、ネットや携帯の普及で、何処でもが事務所になりうる時代になりました。そこでオフィスはなくなるのか、と思いきや、やっぱりそう簡単になくすことはできそうにありません。仕事は人間同士の関係のなかで成り立つ基本は変わらないから、という真理が見えてきます。
 だったらもうひとつ進んで、オフィスの真ん中に、ゴロンと横になれて野口体操ができる空間をつくる提案をしたい、と常々思っているのですが。(実現したという話は聞いていません。)
 
 少子化問題も、高齢者の身体能力の問題も、働き盛りの人々のQOLがあがれば、全面的な問題解決にはならなくても、風穴を開けることはできるだがなぁ、と思う次第。
 働いているのは、人間なんですよね。オフィスは知っているんです。喜びも悲しみも。

 因みに、私の仕事場は、昭和7年、帳場で使われていた机をはじめ道具を残しています。座布団に座ってパソコンを打つこと20年。はじめは熟語変換がきかないワープロからでした。

尚、今日の資料は、05年4月25日付け、日経新聞「ビジネスレッスン」を参考にしました。

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