みつばやま小零庵だより

宇宙の塵、その影のような私ですが、生きている今、言葉にしたいことがあります。

トキの野生復帰と「談義」の哲学

2012-12-24 13:57:00 | 哲学

トキの野生復帰の一連のニュースを、私はいつも冷ややかに聞いていました。この国は、環境の徹底的な破壊を続けながら、いわばエリートに祭り上げた特定の生物種のみを、似非免罪符のように利用している、と。

Dscn3033この冷笑的気分は今も変わりませんが、桑子敏雄(1951~)の「トキの野生復帰と<談義>の哲学」(岩波の「図書」12月号)を読んで、野生復帰事業の或る一面を興味深く思いました。

田んぼを荒らすトキは、農家にとっては害鳥です。著者は2007年、トキと共生可能な地域社会の条件を研究する文系チームのリーダーを依頼され、佐渡島の人々の思いが錯綜してトラブルを抱える多くの地域で、当事者として活動してきたそうです。その活動とは、合意形成プロセスの構築であった、と。

キーワードは「談義」でした。閉校の小学校が「談義所」と名付けられました。
・・・談義による合意形成は、票決を行わないという点で、熟議民主主義とも異なっている。・・民主的談義は、地域社会の重要な課題を現場で切実に感じることのできる人々の直接的な話し合いによる問題解決の方法であり、この方法を通じて実践される民主主義の理念である。

この方法によって、トキの野生復帰の重点地区新穂潟上を流れる天王川の上流と下流の対立を解決し、さらに、天王川最下流に位置する加茂湖をめぐる行政と漁協の対立の解決にも成功した。

票決を行わないということは、多数者による支配を行わないということですね。柄谷行人が、デモクラシーを超えるものとして提起している イソノミア=無支配 を想起しました。古代ギリシャのイオニアで行われていたというイソノミアですが、現代日本においても、限られた場で条件が満たされれば、ある程度、実現可能なのかも知れないという、希望を感じさせられました。

桑子敏雄はこんなことも書いています。
人間は、個人として、組織において、あるいは地域社会や国家において、永遠に対立・紛争から逃れることはできない。人間が幸福であるためには、この対立・紛争と不断に戦わなければならない。この仕事は人間の本質のうちに存在する。合意形成のプロジェクト・マネジメント技術を人間にとって必要不可欠とするのは、人間にとって平和とは平和への不断の努力以外にないと考えるからである。

桑子俊雄にとって「平和のために戦う」とは、戦争することではありません。合意形成のために談義することなのです。平和への脅威が急迫する昨今、示唆に富む一文ではないでしょうか。


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