昼の世界と夜の世界の同時進行。

2021-06-16 21:04:47 | Weblog

友達と話をしていて、

自分でも気づかなかったことが明らかになったりすることがある。

だからそーゆーのって大事だ・・・と思うのだけれど。

 

こないだの日曜日、清治と話していて気付いたこと。

あの頃(高校時代)の僕には、昼の世界と夜の世界があって、それが同時進行していたのだ。

 

昼の世界というのは学校・・・は、ほとんど どうでもよくて、

放課後の、佐治と岩佐と庄司と三太とモ吉でやっていたバンドの世界のこと。

精一杯イキがった、不良スタイル(ヤンキーとも言う)の彼らと、音楽的実験、実演の毎日。

バンドで音が出せるだけで幸せだったのに、さらに自作のオリジナル曲をやるのだ。

僕の知る限りでは・・・・そんなこと、やってる奴は近辺には他に誰もいなかった。

最高だった。

そこでの僕は、彼らの関西弁を真似して、それらしく関西弁を喋っていた(つもりだった)。

「せやな」とか「あれやねん」とか。

そこの仲間内での主役は、ベースの岩佐だった。

バンドの中心人物は佐治だったのだが、岩佐の影響力はかなりのものだった。

その当時は、岩佐抜きではバンドは、考えられなかった。

 

そして、夜の世界は、学生寮に帰ってからの、

清治と、様々な事柄について話し込む時間だった。

(バンドのほかのメンバーはみんな自宅通いだったのだ。)

大げさに言えば我々(清治と俺)は、生き方を模索していたのだ。

そこでの僕は、関東弁・・・・というか、東京にいた時の、子供時代の喋り方だった。

(清治は、埼玉から来た奴だった。)

関東弁のほうが自分にとっては自然なのだ。それは実は、今でもそうなのだけれど。

「だからさぁ」とか「あれじゃん」とか。字に書くと軽薄だけど。

冗談抜きで毎日、朝方まで話し込んでいた。もう何と言うか・・・馬鹿である。

 

しかし、どうあがいても

昼も夜も、濃いィことこの上ない。

でも全然違う世界だった気がする。

 

だから本当に眠くて眠くて、学校の授業の80%は眠って過ごしていた。

二時間目くらいから眠って、気が付いたら昼だったこともある。

 

 

でも、そうだったんだよな・・・・・と思った。

あれからもう、40年近く経つ。

今になってやっと、自分で言語化して自分で気付いた。

あの頃の僕には昼の世界と夜の世界があって、それが同時進行していたのだ。

 

僕自身がその後、長きにわたって言語的に分裂(関東弁/関西弁)してしまったのも無理はない。

何を隠そう、その言語的分裂は・・・・今でも続いている。

でも僕の関東弁は、「今」に、生きているものではない。

昭和47年くらいの、古い古いものなのだ、多分。

そして、関西弁にも、いまだに馴染んでいない自分がいる。

 

 

こないだの日曜日は、清治の喋り方がとても気持ち良かった。

久しぶりに聞いた関東弁だったからだ。

と言っても今では、

関西弁を愛している自覚もある・・・・自分では上手く喋れないけどさ。

 

 

分裂、分裂、分裂。

 

 

昼と夜はそれでも、分裂していたようで、そうではなかった。

 

 

 

ものごとの本質は、そんなに変わらないものでもあったのだ。

 

 

あの頃はそれに、気付きもしなかったけれども。

 

 

 


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