ラジオの「夏休み子供電話質問」に、
小学生の女の子が半泣きになりながら電話してきていた。
「最近、ひいおばあちゃんが死んで、飼っていたカブトムシの幼虫も死にました。
・・・・・・・・・・・・・・・・生き物は、なぜ死ぬのですか?」
「ひいおばあちゃん」と「虫」を同一線上において発言しているところが
子供っぽくて、聞いてるほうは何とも心温まるのだが、
本人はとてもとても、悲しいのだ。可哀想に。
回答者は世代交代のことなどを例に挙げて、でも結局は「それは、わからないのよ」
と言っていた。潔い答え。
子供の質問、というのは時々、答えがない。
聞いてて、ほかに傑作だったのは
「宇宙が始まる前は何があったんですか?」という質問と、
「ゴキブリは何のために存在しているのですか?」という質問だった。
後者の「ゴキブリ質問」に対しては回答者は、生態系のことなどを持ち出して、
人間の都合で「害虫」なんて言っては駄目だよ、などと説教を垂れていたが、
生態系など持ち出しても「存在の理由」の答え・・になど、なっていない。
愚かな答え。
しかし、子供相手に、核心的なことを説明するのは至難の業だ。
俺だったらどう答えるだろう、と考える。
「ゴキブリ質問」に対しては、
「生き物は、ただ生きるために存在しているんだよ。」としか答えられないな。
いかん、これでは「回答者」失格か。まあいいや。
失格ついでに・・・「宇宙の始まる前」?・・・知るか、そんなの。何もねえよ。
さて、「生き物はなぜ死ぬのですか?」と聞かれたら?
・・・・・・「そういうふうにできてるからだよ」、としか言えないかな・・・。
でも、本当に、考えてみたら・・・「生き物が死ななければならない理由」って、ないのだ。
身体の老朽化?いや、だって細胞は日々、入れ替わってるんだぜ。
「古く」なんか、ならなくたって、いいのだ。
年老いて身体にガタが来て、やがて生命活動が停止するのは、
DNAの中に、「老朽化して、死ぬ」というプログラムがセットされてるだけの話だ。
じゃあ、なぜ、そんなことがプログラムされてるのか?ってのが大問題なんだけど、
これに対する「答え」を、今日、ダンプの中で思いついた。
生き物はなぜは老い、なぜ死ぬのか?
「それのほうが楽しいから」だ。きっと、そうだぜ。