炉心融解へ

2011-05-13 14:18:52 | Weblog



福島第一原発一号機が炉心融解状態にあることを

遅まきながら東電が認めたようなのだが、



それでどうなることを恐れてるのか、

具体的なことが全然新聞に書いてなかったので、

自分なりに調べてみた。

それでわかったのは


この後、


①水素爆発より大規模な「水蒸気爆発」が起こる可能性。

(それによる放射線物質の大量放出)

②原子炉の容器が貫通してしまうことによる

放射性物質の環境への大量放出。

③メルトダウンにより核燃料が再臨界へ突入してしまい、

核爆発の恐れ。

核爆発とともにもちろん、大量の放射線物質が

日本中に撒き散らされる。


という、この三種類の超・大惨事の可能性が

とても高い、と言うことなのだと思う。


そうなった場合、日本全土が危険区域に突入しかねない。


まだまだ全然、終わってない。


目には見えない劇毒物である、放射線物質。


そんなものが我々の日常を侵食しようとしている。





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「よくあること」と、その逆のこと

2011-05-12 14:11:42 | Weblog


「よくあること」なのだ、そんなの。

そんな風に思う。

俺達なんてびっくりするぐらい平々凡々な人生で、

ろくでもないヘマをしたり、ずっこけたり。

陰口を言われたり、面と向かって怒られたり。

ピンポイントで雨に降られたりとか。

でも本当にそんなの、誰にだってあることなのだ。

全然特別ではない。


と思う反面、


この時代のこの一瞬を

同じ場所で体験出来たのは他でもない、

俺達だけじゃないか、とも思う。

君がまだ少年だったころに出会えて、

一緒に成長して、一緒にいろんなところを旅した。

俺達は特別な存在なのだ。


どんな小説を読んでも、俺達が経験したようなことは

書いてなかった。

そりゃそうだ、だって本当に、

想像を絶するような出来事の数々だったんだから。

思い出したくないほどひどいことが起こったし、

有頂天になってしまうようなことも起こった。

現実に起こったことすべてが、

今となっては俺の中に 混沌のようにうずまいて

巨大なガス体のようなものになって在り続ける。


そして今は五月の半ば近くで、

俺は六月のことを考えている。

この季節になると、二十数年前のことをどうしても

思い出さざるを得ないのだ。


「よくあること」の真逆だった出来事のこと。






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我思ふ

2011-05-09 07:51:23 | Weblog



すごく幸せで、恵まれてる・・と感じる時がある。

でも

人生って苦難の連続でしかない・・・と本気で思う時もある。


いい気になって自画自賛してしまう時もある。

けど

もう本当に最低の事しか出来ない・・と

自己嫌悪に陥る時もある。


「運」がいいのか、悪いのか。


いや、果たして「運」なんてそもそも、あるのか、ないのか。


人それぞれの人生なんて全然、平等ではない。


それだったら俺は、

ブザマでもいいから、優しい人間になりたい。


「他人に優しく」なるためには、やっぱり

まず強くならなければならないかな。


「上手に立ち回る」ことは、一生出来ないかもしれない。

それはもう、しょうがないから

自分に出来るやりかたで、やるしかないのだ。


きっと人生って、

苦難より楽しいことのほうが多いのだ。

そうに違いない。



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薄曇り

2011-05-07 16:44:49 | Weblog


衝突ばかりを繰り返す、

今日も世界は薄曇り。


今は五月。


人間ってしかし、どんなことにでも慣れていってしまう。

それでいい、とは思わないんだけど、

何だかろくでもない状況が

当然のようになってきている気がしてしまう。


「非日常」が日常に侵入してきて、

今まで見慣れた日常を変えてしまう。

それでも日常は「違う顔をした日常」になるだけで、

あの懐かしい退屈や、

時間がゆっくりと進むような錯覚は

二度と戻っては来なかった。


かと言って僕は

「世界」に対して屈服などしたつもりはない。

今は時機を見るために

「死んだふり」をしているだけなのだ。


でもそんなことをしているうちに

地上の様相は変貌を遂げてしまい、

もうあのノー天気でおバカな世界は、ない。


今見えるのは、黒雲と灰色雲が混じり合って、

またろくでもない色が発光する空。


時間の向こうに恐ろしげな噂が飛び交う今日。


「正しいこと」と「間違ったこと」が

あいまいな価値基準のなかでごちゃ混ぜになってしまい、

判別不能、分離不可能になってしまった。


前途は多難である。







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わりに散々な2011年5月

2011-05-02 14:51:01 | Weblog


昔、「学校」が嫌いで、どうしても馴染めなかった。


算数とかもう、寒気がするほど嫌いだったし・・・・・。


今になって思うのは、

「学校」って、社会人を作り出すための、

いわば、「会社予備校」だったのだなぁ、ということだ。


そんなのあたりまえだろう?と言われるかもしれないが、

そんな事全然知らなかったのだ。


今、俺は

「会社」みたいなものの内幕をチラ見しているのだが

すごーく「学校」みたいだなぁ・・・・と思う。


そして当然のことながら、寒気がする。


原始人だったら良かったんだがなぁ・・・・

とふと思うのだが、

いかんいかん、寒いのは苦手だ。


やっぱり理想はあれだ、

海で黙って暮らす、「貝」だ。


もしくは「植物」だ。





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