火葬について思ふ。

2023-07-08 21:07:37 | Weblog

俺が死んでも焼かないでくれ、と歌ってる人をSNSで見た。

この人は「農フューチャー」という理想を掲げているようで、

農業をやりながらロックしているのだ。かっこいい。

焼かないでくれ、というのはつまり、「土に還りたい」から。

なるほど、と深く思った。

農業を真剣にやっているのなら、自分自身の身体も土に還りたい、

と思うのはきっっと自然なことなのだろう。

しかし。

この人の希望はかなえられるのだろうか?この現代社会の中で。

・・・無理かもしれない。

遺言で「土葬」を希望したとしても・・・・無理なのではないか。

「火葬」という文化はかなり古くから我が国に根付いている。

これはもともとは、伝染病とかを防ぐという根本的な目的があるはず。

ご遺体は腐るし、そこからいろいろと問題が起こるのだ。

諸外国はどうだろうか?

あの、映画で有名なゾンビは、土葬文化の賜物である、もちろん。

でもヨーロッパなどでは近年、土葬が多くなっている、と何かで読んだ気がする。

お墓のスペース的な問題もあるであろう。

火葬にした後の骨を入れる「骨壺」は、年々小さくなっている。

さて

火葬にされた我々は、土に還れないのであろうか????

いや・・・・・考えたのだが

人体の70%は水分であるという。

火葬されればその70%は蒸発して、空気に混ざる。

もしくはそれこそ天に昇って、雲と同化する。

雲からは雨が降るので、70%分は大丈夫、いずれ土に還れる。

あとの30%は?

お骨の残りと・・・・・なんだろう?

我々の「お肉」。高温で焼かれて、微粒子と化すのかな。

そう考えると「火葬」って、いまひとつ自然ではないかもしれない。

「炎」自体が・・・・自然に発することなど滅多にないのだ。

ところで、お骨って、一部しか残さないよね。

子供の頃、初めて行った火葬場でお骨を上げた時に、それが衝撃だった。

「え?全部拾わないの?」と聞いたほどだ。

あれが誰の火葬だったのか思い出せない。ごめんなさい。

ほんの一部だけお骨を拾って骨壺に入れて、

あとは「産業廃棄物」として処理されるのだと思う。

それは言い方を変えれば「ごみ」だ。

「ごみ」処理の方法もいろいろあるが、最終的には土に還る、

と思って間違いないであろう。

ややこしいような気もするが、

地球上の物質は地球上で再生する。

だから死んで「焼かれて」も大丈夫かもしれない。

そう考えると「土葬」とか

ご遺体を野晒しにして鳥に喰わせる「鳥葬」とかって、

贅沢なのかもしれない。ストレートだから。

でもさ、この超高齢者社会で

あちこちの野原や畑のわきとかに、焼かれてないご遺体が野晒しにしてあったら、

なかなか悲惨な光景だと思う。

いや俺はそうされても全然いいんだけどね。

ゾンビとして蘇るチャンスがあるかもじゃん、ご遺体が残れば。

・・・・でもそれ、「チャンス」とは言わんか。

コメント    この記事についてブログを書く
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする
« ライヴハウス考。 | トップ | 「火」について。 »
最新の画像もっと見る

コメントを投稿

Weblog」カテゴリの最新記事