俺が死んでも焼かないでくれ、と歌ってる人をSNSで見た。
この人は「農フューチャー」という理想を掲げているようで、
農業をやりながらロックしているのだ。かっこいい。
焼かないでくれ、というのはつまり、「土に還りたい」から。
なるほど、と深く思った。
農業を真剣にやっているのなら、自分自身の身体も土に還りたい、
と思うのはきっっと自然なことなのだろう。
しかし。
この人の希望はかなえられるのだろうか?この現代社会の中で。
・・・無理かもしれない。
遺言で「土葬」を希望したとしても・・・・無理なのではないか。
「火葬」という文化はかなり古くから我が国に根付いている。
これはもともとは、伝染病とかを防ぐという根本的な目的があるはず。
ご遺体は腐るし、そこからいろいろと問題が起こるのだ。
諸外国はどうだろうか?
あの、映画で有名なゾンビは、土葬文化の賜物である、もちろん。
でもヨーロッパなどでは近年、土葬が多くなっている、と何かで読んだ気がする。
お墓のスペース的な問題もあるであろう。
火葬にした後の骨を入れる「骨壺」は、年々小さくなっている。
さて
火葬にされた我々は、土に還れないのであろうか????
いや・・・・・考えたのだが
人体の70%は水分であるという。
火葬されればその70%は蒸発して、空気に混ざる。
もしくはそれこそ天に昇って、雲と同化する。
雲からは雨が降るので、70%分は大丈夫、いずれ土に還れる。
あとの30%は?
お骨の残りと・・・・・なんだろう?
我々の「お肉」。高温で焼かれて、微粒子と化すのかな。
そう考えると「火葬」って、いまひとつ自然ではないかもしれない。
「炎」自体が・・・・自然に発することなど滅多にないのだ。
ところで、お骨って、一部しか残さないよね。
子供の頃、初めて行った火葬場でお骨を上げた時に、それが衝撃だった。
「え?全部拾わないの?」と聞いたほどだ。
あれが誰の火葬だったのか思い出せない。ごめんなさい。
ほんの一部だけお骨を拾って骨壺に入れて、
あとは「産業廃棄物」として処理されるのだと思う。
それは言い方を変えれば「ごみ」だ。
「ごみ」処理の方法もいろいろあるが、最終的には土に還る、
と思って間違いないであろう。
ややこしいような気もするが、
地球上の物質は地球上で再生する。
だから死んで「焼かれて」も大丈夫かもしれない。
そう考えると「土葬」とか
ご遺体を野晒しにして鳥に喰わせる「鳥葬」とかって、
贅沢なのかもしれない。ストレートだから。
でもさ、この超高齢者社会で
あちこちの野原や畑のわきとかに、焼かれてないご遺体が野晒しにしてあったら、
なかなか悲惨な光景だと思う。
いや俺はそうされても全然いいんだけどね。
ゾンビとして蘇るチャンスがあるかもじゃん、ご遺体が残れば。
・・・・でもそれ、「チャンス」とは言わんか。
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