「火」について。

2023-07-09 18:11:20 | Weblog

それにしても、というか

死んだ我々の身体が火で焼かれるのが当然、みたいになってるのは

不思議と言えば不思議。

やはり、人間の文明というのは「火の文明」なのだ。

火を使えるようになって一番初めの利点は

火の光によって、夜の闇を照らせることだったかもしれない。

これは驚くべきことだったはず。獣は火を恐れたし。

もうひとつ、喰えるものが増えた。それ以前とは比べものにならない。

獣肉だって、魚だって。多少は固い芋や野菜も、焼けば喰えるのだ。

冗談抜きで、多少古くなった肉でも野菜でも、火を通せば喰える。

当時の原始社会で、「火」を起こせる者、扱える者

(それは「火」が物理的現象だ、と理解した者だったはず)

は、本物の、奇蹟を起こせる「魔術師」であったであろう、と推測する。

現代においてだって、「火」は ほとんど魔法だ、と僕は思う。

 

そして、刃物。

刃物は「火」の産物である。

鉄分を含んだ岩石を「火」の超高熱で溶かして鉄を取り出して、

それをまた焼きながら叩いて「鋼」を作る。

それを研いで、「刃物」の出来上がりだ。

(そんな簡単なことではないが、原理としてはそうだ。)

「刃物」を手にした人類はまた「喰えるもの」が倍増した。

 

そしてそして、「火薬」。そして「エンジン(ガソリン動力)」。

「火薬」と「ガソリン動力」は、一種の究極だと思う。

それはつまり「銃」と「車」だから。

 

銃を手にすることで一部の人類は地上最強になった。

アフリカの人々の多くが白人の「奴隷」にならざるを得なかったのは

白人側が「銃」を、すでに手にしていたからだ。

ひどい話。

 

そしてその「火」は形を変えて「電気」となり、

「原子力」となった。

「原子力」の火は二酸化炭素を出さない。それはいいのだが、

制御が、とても難しい。

そしてこれがとても大事なのだが、

原子力はその「燃える」過程で生物にとって猛毒な放射線を出すし、

これも猛毒な、放射性廃棄物、というものが必ず、発生する。

そして何百年も、その毒性は消えない。

それをずっと、冷やしたまま保管せねばならない。

冷やすのを止めたら最悪、核爆発が起こる。・・・・・恐ろしい。

解決策は、この21世紀の現代にも、ない。

 

 

現代のこの国で起こった、

原発のメルトダウンという世界最悪の事故で

それを冷やした水、つまりそれに触れた放射能汚染水を

海に放出する、ということが決まってしまい、着々と進んでいる。

 

いつもいつも、被害をまともに受けるのは我々「弱者」だ。

偉い人(?)は誰も、責任を取らない。

 

あんなもの海に捨てたら、取り返しがつかないのは目に見えている。

 

近年の政治的な状況は滅茶苦茶だ。

マトモな話の方が少ない。

マイナンバーにしても、どう考えてもマトモではない。

あれは永年我々が拒否してきた

「国民総背番号制」であるし、それの強制だ。

キツい監視社会、ディストピアの具現化だ。

もう遅い?と思う人いるかもだが、遅くはない。

実施される前に、全力であれを無効にする法案を通さねば。

 

官房長官とやらの質疑も、まともに答えないのが常態化している。

国会質疑もそうだ。

この、「まともに答えない」を堂々とやり始めたのは

僕の記憶では、安倍晋三だ。「ご飯論法」とかあったよね。

あいつの傲慢さとツラの皮の厚さは、本当に憎たらしかった。

 

 

 

この文章、最後だけは文学的な「火」に戻る。

 

傲慢な奴らは

みんな「地獄の業火」に焼かれてしまえばいいのだ。

 

・・・言ってて虚しい。

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