昨日の続きで、どーでもいいようなことを延々考えていた。
ライヴハウス側としてはそりゃ、
「売れる」ことを目指してハングリーに活動して、
もちろん平日だろうが何だろうが二つ返事で出演し、
お客さんも毎回山ほど動員し、
しまいには鳴り物入りでメジャーデビューして、
そのライヴハウスの名前も有名になってしまう・・・・・
っていうようなバンドに出演して欲しいのだろう。
気持ちはわかる。
しかし、平日でもいつでも、
しかもハードスケジュールでライヴやってる(非・メジャーの)バンドの人って、
どうやって生活してるのだろう・??謎だ。
推測その1・・・大富豪、社長、もしくはそのご子息。
その2・・・・単に、ヒモ。
その3・・・・もう思いつかない。
まぁ、他人のことだから、どーでもいいけど。
それを羨ましいか?と聞かれれば、羨ましくない、と答える。
俺は、働けることに感謝しているし、
働くことも音楽やることも、ぎりぎりではあるが・・・出来てることは誇りだ。
俺は・・・っていうか俺達は「自立」してるのだ。
そういう、バンドの動き方を「オヤジバンド」と呼ぶなら呼べ。
それはそうと夢のある話を。
僕の覚えてる限りで「伝説」と化した、我が国での、
ロックバンドのライヴハウスでの、
大成功譚が二つある。
ひとつは1970年代後半の、チャボさんが加入した直後の、
復活RCサクセションで、
毎回、狂乱の盛り上がりで、もうこれ以上人が入りきれない・・・・ということになったらしい。
あれで渋谷・屋根裏の名前が全国で垂涎の的になった。
俺も一度、出たかったな。渋谷・屋根裏。
(後年になって移転・復活した渋谷・屋根裏には「ばるぼら」で、出た。)
もうひとつのライヴハウス伝説は、1980年代後半のブルーハーツだろう。
あれは・・・・もう移転してしまった西新宿のロフトだったのかな。
よく知らんのだけれども多分そうだろう。
話によれば、彼らが出演するたびに暴動のような騒ぎで、
そして倍々ゲームのように動員が増えて行ったそうな。
当然のように大手レコード会社の、バンド獲得争奪戦。
「歌詞に一切文句をつけない」という条件でメジャーデビューしたらしい。
むむむ。かっこいい。
今や国民的人気バンドみたいになってるスピッツは、
新宿JAMに出演していたバンドであったらしい(よく知らんのだが)。
JAMも、出たことがないなぁ。
むむむ。
イエローモンキーは、渋谷ラ・ママに出演していたはず(こちらもよく知らん)。
1980年代後半、ランブルフィッシュでラ・ママに出演した時、
イエローモンキーの宣伝チラシが貼ってあるのを見て、
「何じゃこのバンド名」と笑っていたのを覚えている。
あの頃から大した人気バンドだったんだろうな。
しかしまあ、「人が入りきれない」くらい動員出来たら
オヤジバンドであろうがなかろうが全然そんなの、
誰も気にしやしないのだろう。
ライヴハウスの数も、昔から考えたら信じられないくらい増えたよね。
それはそれで、すごくいいことなのだけれど。
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