内容に言及する。

2020-07-24 12:15:55 | Weblog

村上春樹、新刊の短編小説集「一人称単数」。

読み終えて気付いたのだが、今回の作品のスタイルは、全部の短編が、

自身(作者)の体験談、のような体裁で語られている。

そんな風に直接書いてあるわけではないのだけれど、自然にそう思わせるような文体だし、

3編目の「チャーリー・パーカー・プレイズ・ボサノヴァ」に至っては本文の最後が

「それはなにしろ実際に起きたことなのだから。」という文章で締めくくられている。

5編目の「ヤクルト・スワローズ詩集」に関しては、

何十年も前(1981年)に、あの糸井重里と共著で出版された

「夢で会いましょう」という超短編集の中に、脱力系(苦笑するような)の野球ネタの「詩」が何篇か掲載されていて、

その「詩」の末尾に「ヤクルト・スワローズ詩集より」と書かれていたのだ。

(今回の内容とは一切重なっていないが。)

だから僕はずっと、「ヤクルト・スワローズ詩集」というのは彼一流の(三流の?)冗談だと思っていた。

架空の詩集だ、と。

でも今回の短編によると、村上春樹は1982年に、なかば自費出版と言う形で本当に、

「ヤクルト・スワローズ詩集」なるものを出しているのだ。・・・・・はぁ???????

これはしかし、現実の話なのだろうか???????

どこまでが本当のことで、どこからが創作なのだろう?

6編目の「謝肉祭(cainavai)」にしても、この主人公はどう考えても本人っぽい。

いや、全編、本人っぽい人物が語り手だ。だが、「僕(村上)」とは、一言も書かれていない。

しかし、7編目の「品川猿」に至っては、「言葉を喋る猿」、が登場するのだ。

こいつは喋るだけでなく、他人の名前を盗む。

ちなみに、この「名前を盗む猿」というのも、大昔に超短編で登場している。

地下鉄銀座線を跋扈する、「大猿」という名だった、確か。    大猿の呪い。

しかし・・・・・・全部、信用していいものかどうか、かなり悩む。

そういえば以前に村上さんは以前の、「翻訳夜話」の中でサリンジャーの「ライ麦」について、

「ホールデンは信用できない語り手」みたいなことを言っていた。

書いてあることを全部鵜呑みには出来ないのだ、と。

確かに・・・この本の何処にも「ノン・フィクション」とは書かれていない。

体裁としては完全に「小説」なのだ。だから、全部創作かもしれない。

しかし・・それにしては、前出の「チャーリー・パーカー・プレイズ・ボサノヴァ」など特に、

もしも、それが創作だったとしたら、大して面白くはない。

2編目の「クリーム」にしても、それはそうだ。「スワローズ詩集」(の存在の有無)にしたって・・・・・・。

いや、もしかしたら全編、それが「フィクション」だとしたら・・・・面白くないかもしれない。

「実話」と「フィクション」の境目を、読者をからかうように書かれている気がする。

だって、この短編集の最後の作品「一人称単数」の最後のセンテンスは

とてもとても、これでもか!ってくらいに「非・現実的」な描写なのだ。これは現実ではありえない。

 

 

30年位前に出版された春樹さんの「回転木馬のデッド・ヒート」という短編集を思い出す。

それには

「ここに収められた文章は原則的に事実に即している。僕は多くの人から様々な話を聞き、

それを文章にした」

と、本の冒頭で語られていた。

そして収められた話はやはり、リアリスティックでありながら、

どこかシュールだったりする、そんなものだった。もちろん、どれもとても素敵だったのだが、

それだって、どこまでが「聞いた話」で、どこからが「創作」か、は本人にしか わかりはしない。

 

 

実は、

現実とフィクションの交わり・・ということについては、春樹さん関連で、すごく興味深い事実がある。

 

「ノルゥエイの森」は、春樹さんの実際の体験が元になっている、

という説が世間(というか研究者の間)ではあって、

その説によれば小説中の「緑」のモデルは、奥さんである。

(加えて言えば「直子」は実在した人物で、「1973年のピンボール」の「直子」と同一人物である。)

春樹さん本人はそれを、かたくなに否定している。しかし・・・・・

小説中で「緑」が登場してくる場面は、大学の講義室で前の席の女の子が振り向いて「僕」に、

「ねえ、帝国主義って一体何のこと?」と尋ねて来る、というものだが、

「ノルゥエイの森」が書かれる以前の、イラストレーターの安西水丸との

雑談のような軽い対談で、奥さんと初めて出会ったときのエピソードとして、

そのことがそのままさらっと、語られているのだ。「ねえ、帝国主義って一体何のこと?」という

台詞もそのままに。

 

 

「現実」と「フィクション」の交錯。

 

 

 

・・・・・・・・・・・・・・・・面白過ぎる。

 

 

付記  

後になって気付いた。

この短編集で春樹さんは「合わせ技」を使っているのだ、きっと。

「ノルゥエイの森」で、現実の出来事と

架空の「起こっていない出来事」を共存させて使ったように。

 

つまり、「チャーリー・パーカー・プレイズ・ボサノヴァ」とか「ヤクルト・スワローズ詩集」とか、

ほとんどのマテリアルは恐らく「実話」なのだが・・・・そんな中にしれっと「品川猿」みたいな

突拍子もないフィクションを混ぜて入れて来てるのだ、多分。

その「合わせ技」で、あんな、「猿が喋る」なんて話もうっかり信じてしまいそうになる。

春樹さんがそれを見てほくそ笑んでいる・・・・ような気すら、 する。

 

 

写真は「中ジャケ」のような、本の中扉。

 

挿画 豊田徹也  というクレジットがある。

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1 コメント

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ブログを拝見しました (つねさん)
2020-08-04 07:21:14
こんにちは。ブログを拝見させて頂きました。これからもブログの運営頑張って下さい。

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