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資格と人間関係 

2005年06月22日 08時16分50秒 | 国を憂う
資格と人間関係               2005.01.28

 東京近郊の私鉄駅員の方が「サービス介護士」の資格講習を受けたとのニュースを見た。日ごろから「今の日本どこかおかしくないか」と考える癖に火がついた。

 今の日本 人間関係にアナログさが薄くなって、デジタルさが増幅している。温かみが消えて行き、冷たい関係しか成り立たなくなってると危惧してる。

 今回の講習会、そして資格は体が弱い人、不自由な人がなんらかのサービスを受けたい時、それを介護する資格のようだ。
 こんなことまで資格化されると、資格のない人は手出しできなくなるのではないか。資格のない人が介護に手を出した。無事済めばいいが、相手が怪我を負う結果になった時、周りから「君は資格がないじゃないか」とせめられるでしょう。無免許運転と同じです。法的にも責めを受けるでしょう。
こういう結果にもなりかねないとしたら、だれが介護の手をさしのべますか?
 一事が万事、こういうことが今の日本の中で増幅されてるように思える。人間本来の感情を押し殺して、グッと我慢しなければならない。これは抑圧といってもいいのだろう。
 こういう社会、日本、日本人はどこへ行こうとしてるのだろう。

 僕はアナログさを取り戻せる地をもとめて旅にでるだけだ。
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煙草

2005年06月22日 08時02分56秒 | つれづれなるままに
煙草                 2005.02.08

 僕は54歳で煙草を吸ってる。巷では「百害あって一利無し」と酷評されてる。自分でも「利の有る行為ではないな」と解かってる。でもやめないんですよね。

 僕の煙草遍歴をふり返ってみよう。初めて吸ったのは高校時代、確か部室だったと思う。わが母校の自由な雰囲気の中、何やってもいいや、大人のまねでもと口にした。部活の友人からもらったと記憶してる。ちょっとまじめな気持ちで吸い出したのが浪人時代。深夜1時、2時に雨戸を開け、真っ暗な庭に向かって、プーっとやった時の心地よさは格別だった。自分が偉くなったような気がしたもんだ。でも月に1本か2本だったと思う。大学に入ったら「吸うのがあたりまえ」とうそぶいて、堂々と吸い出した。
そういえば、親父が煙草を止めたのがこの頃だった。僕に対して行動したというのではなく、胃潰瘍の悪化、手術の怖さから止めたようだが。親父はその後30年吸ってない。大学時代、酒飲んで、議論して、講義の後の、パチンコしながら、麻雀しながら、喫茶店で珈琲飲みながら、煙草吸うために学生してたようなもんだ。
 1973年に会社に入ったが、煙草を止めようとは考えなかった。自席に灰皿をおいて、煙に包まれて、考えてるようなかっこうをしてる。仕事をしてる気分になれたし、仕事できる人間に見えるんじゃないかな なんて考えてた。
 ところが入社10年目頃だったと思う。その年の2月に風邪をひいた。煙草が吸えなかったし、吸いたいと思えない程調子が悪かった。そんな日が3,4日続いて、風邪が治った。この日が2月19日僕の誕生日だったのでよく覚えている。「4日吸わないでいられたじゃん。このまま止めるか」と止めちゃった。
今考えるに、いとも簡単に止められた。それから4,5年やめてましたかね。どうして再開したかはさだかではないのだが、仕事でいらいらすることがあったのでしょう。ちょっと1本があれよあれよというまに1日1箱に。吸い出したらこんなもんでしょう。
 そして1998年の夏です。十二指腸に穴があき、腹膜炎の併発。夜中に死ぬかと思うほどの腹痛。そのまま緊急手術、入院。さいわい臓器を切らずに処置いただき、2週間の入院後、会社に復帰。当然煙草はやめますわね。あの痛い思いは二度としたくないと考えるのが普通です。3,4ヶ月はやめてたように思います。またまたちょっと1本から始まって、数日で1日1箱ペースに。かみさんから「またあの苦しみしたいんだ」といやみを言われると、「もうならんよ。薬も飲んでるし」と強がってる僕でした。
 人間は弱いもんだなとつくづく思います。僕だけではないでしょう。
 これから田舎暮らしを始めようとしてるが、あんないい空気の中で、わざわざ汚い空気を体に入れることはないのにとも考える。
 解かっているけど、止められない。なんなんでしょうね。
 煙草を吸う時間があるからいけないんだよ。
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