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北原照久氏のこと

2005年06月21日 21時53分11秒 | つれづれなるままに
北原照久氏のこと            2005.02.01

 NHKのラジオ番組で「ブリキおもちゃ収集家」北原照久氏の生い立ちを本人の話で聞いた。
 驚いた。氏のすばらしさはもちろん、氏を育てたお母さんのすばらしさに感激させられた。明るい未来を想像できない今の日本、その原因の一つが教育だと考える私には「まさにこれだ。今の日本に欠けてるものは」と共感せずにはいられなかった。
 氏は小学校、中学校時代 大変な不良だったらしい。あげくのはては中学退学までいったようだ。その氏が高校である先生にめぐりあった。大変ほめ上手な先生で「北原 やればできるじゃないか」が口癖だったらしい。
 小、中学と勉強はまったくしなかった氏は当然高校にはいっても学年800人中ダントツのびりだったようです。高校1年の春アルファベットが1つも書けなかったそうです。今の彼を見て、過去にこんな時代があったなど信じられないのだが。
 その彼が「ほめ上手な先生」にめぐり会って、人生が変わったらしい。先生が誉めるから、先生にまた誉められたくて勉強を始めた。当然中学レベルからの復習でしょうし、独学しかなかったでしょう。「うれしくて、楽しくて、やった」と氏はおっしゃる。結局3年後卒業時には800人抜きの主席卒業だったようだ。
「勉強は教えるものではなく、やりたくなってやるもの」
「子供はベースがちゃんとしてれば曲がらない」
「見守っていれば、いつか気がつく」
「気がつくまで待ってやること」 と考える私の哲学通りだ。
 氏はベースがしっかりしてた。それを植え付けたのは彼の母だったらしい。
 母はそんな彼をしかったことがなかったようです。
「照チャンだいじょうぶよ。貴方は優しいし、だいち煙草を吸わないじゃない」と誉めたそうです。「他に誉めるところがなかったですからね」と氏は言うのだが。
「親は愛情と我慢で教育する」が私の信条。「すてきなお母さん」に感動です。
 ある時、野に咲く雑草を踏まずに避けた彼をお母さんは「お花を大事にする照チャンはすばらしい」と誉めたそうです。
 氏は「お母さんを裏切ることはできない」と今まで煙草を吸ったことはないそうですし、植物への愛着も並以上だそうです。彼は自分の誕生日はお母さんにプレゼントする日と決めてるそうで、もう何年も欠かさず、続けてるようです。
 日本の全親が北原さんのお母さんのような人だったら、全教員が「誉め上手」だったら、今日本を覆ってる暗雲など一気に消え去るのにと考えた放送だった。
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32年間の会社人を辞めました。

2005年06月21日 20時23分31秒 | プロフィール
私事ですが、4月末日をもって㈱○○○○を退職しました。

 1973年に入社し、IT技術を駆使して、業務の効率化を進めてきた32年でした。 業務ソフトの作成から始まり(まだパンチカードの時代でした)、システム開発をやり、全国への普及活動もやりました。最後の6,7年は普及させたシステムから上がってくる情報を使って、利益管理、リスク管理を担当させていただきました。まさに日本の企業がIT化してきた過程をそのまま実践してきた私です。

10年程前から自然の中にいる事が好きになり、そんな場所がほしくなり、7年前に山梨県白州町に小屋を持ちました。小屋での生活を楽しむ中、当然のことですが、ここで生活したいと考えるようになりました。

これからの20年、25年の人生を考えた時、定年までのこの5年がたいへん貴重な時間に思えます。いずれ田舎暮らしをするなら、一刻も早く、まだ力のあるうちに始めようと考えたのです。

今年で子供3人も皆巣立ちました。「よし始めるぞ」と決心したのです。自然を活かす仕事を今探してます。まだ見つかってません。厳しさを実感してます。「どうにかなるさ」と軽く考えるようにしてます。

在職中は公私にわたり大変お世話になりました。ありがとうございました。これからもよろしくお願いします。
小淵沢、韮崎あたりに来ることがありましたら、寄ってください。
但し事前にTel、Mail等で要確認です。
諸般の事情で年内は神奈川におります。

                   平成17年5月
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学力低下と教育

2005年06月21日 13時50分17秒 | 国を憂う
学力低下と教育            2005.01.28

 世界的機関が最近世界中の小学生を対象に学力調査を実施し、その結果を公表した。
 数年前の同じ調査との比較についても公表された。

 日本の小学生は前回より順位を落としたこと、文章の解釈力が劣っているなど指摘された。

 これに対して、文科省は数年前から進めてきた「ゆとり」路線を見直す、主要教科の時間を増やす と言い出した。

 なんとスケールの小さいことか。こんな発想しかできない「えらい人」に「教育」を語らせるのはマイナスはあっても、プラスはないと言える。

 そもそも今回の学力調査はいわゆる学力の調査であって、学力の低いことは悪いことではないはずだ。学力は低いが絵をかかせるとおもしろいとか、ボールを投げると100m投げるとか、走らせるとオリンピック級だとか そんな能力もその人の、わが国の個性としてあっていいはずだ。「学力の高いこと」が唯一無二の価値観としてきたこれまでのわが国。
その結果がどうだ。義務教育についていけず、学校に来なくなった子、そこをスタートに若年層が悪い方向に向かっている例は毎日ニュースにあがっているではないか。
 こういう現実を直視せず、学力がさがったから、上がる教育をと短絡的に結論をだしていいの。今の日本社会の暗い流れをますます本流化させるだけだと思う。

 「個性の尊重」がキーワードだと思う。その子が興味を持っていることをそのまま伸ばしてやればいいではないですか。当然「学力」での優劣などなくなる。「それでは社会人として最低必要な基礎学力すら身につかないのでは」と反論される方には「こういう環境で育ててやれば、必要となった時、自ら探求しますよ」といいたいし、「押し付けて教えるのではない、自ら求めたということが大事でしょう」といいたい。その時は今のシステムよりはるかに身につくことでしょう。

 こういう教育を実現するために小、中、高とも教科選択型にしてはどうだろうか。当然教員の資格も今とは一変させねばならない。例を1つ。NHKが放送してる「課外授業」という番組。子供が全員生き生きとしてる。いろんな先生がいて、興味のあることならなんでも教えてくれる。料理を教えてくれる、鋸の使い方を教えてくれる、生物の育て方をおしえてくれる、当然算数や社会科もある。
「小学生には選択する力がない」と心配されるかたには、「その子もいつか自分の人生を自分で選択しなければならないでしょう」と言いたい。最初は自分で選べず、友人についていくだけという子もいるだろう。それでもいいのですよ。
 こういうシステムのよさをもうひとつ。教員がもっと勉強するようになることです。今の先生は「マニュアル型」だといえる。生身の人間を教えるのです、マニュアルなんてあるのがおかしいのに、教育の現場に立たないえらい人達が考案したマニュアルにそってオウムのようにしゃべってる。こういう先生はいられなくなるでしょうね。子供が慕いませんから。

 わが国の教育にこんな提案を持ってる私です。
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山登り

2005年06月21日 13時44分35秒 | 山紀行
山登り                 2005.02.08

 山登りが趣味だ。趣味と言えるレベルがわからないが、山から下りてきた後の温泉で「来月はどこに行こうかな」なんて考えるのだから、趣味といってもいいのだろう。
 山に登り始めたのが大学生の頃。丹沢の表尾根にちょくちょく行くようになったのが始まりだろう。その頃は自分の体力を測りにいくような山行で、いつも同じコースを歩いてた。「前より楽に塔が岳まで行けた」とか「今日はバカ尾根の下りでまいった」とかの感想しかもてなかった。バリエーションルートを探すわけでもなく、趣味とは言えないレベルだったろう。
 この頃、ひまにまかせて登山の本を読むようになったことは今に繋がる出来事だったかもしれない。ヒマラヤ8000m峰が登られていく紀行文を読み漁って、自分がその主人公であるような興奮を覚えてた。世界の山名や世界的登山家の名前も覚えた。しかし、自分の山行は別段進化することなく学生時代を終了し、社会人になった。
 確か入社した年の初秋だと思うが、周りの先輩が穂高に行く計画を始めた。なんで自分がそこに参加するようになったかはさだかでない。おそらく僕のことだから、山の事で知ったかぶりした会話を日頃してたのだろう。「あいつも山に興味ありそうだから、入れてやれ」くらいでメンバーになったのだろう。この山行は僕にとって初めての本格的登山で、泣きたい位辛かったのを覚えている。河童橋から岳沢小屋までの登り。小雨の中、30kg(確かではないが、おそらくそれ位)ほどのリュックをしょって、プロについて行かねばならん登山は苦しいだけだった。先輩が短パンで傘をさして、先頭を漂々と登る姿が憎かった。岳沢小屋に着いたときは達成感より、ほんとに泣きたかった。テントで寝て、翌日前穂、奥穂と登って、下山。岳沢からはまた思い荷物をしょっての下山だった。
 次に訪れた山行の機会は入社3年目。穂高を短パンで登った先輩とネパールへヒマラヤをみに行こうと計画を始めた事だった。1年後の5月の連休に有休をくっつけてヒマラヤトレッキング。仲間を募り、我々で団体を組んで行こうと始めた。計画を練ってる段階で私の結婚が決まり、この山行が我々の新婚旅行を兼ねる結果になるのだが。ポカラからゴラパ二峠までをトレッキングしてきた。マチャプチャリ、アンナプルナ、ダウラギリがすごかった。
 1977年にこんな体験をしたことは驚異的なことだったはずだが、僕としては山にのめり込んでいくきっかけにはならなかった。これからしばらくは子育てとクラブ活動としての野球にはまってて、山どころではなかった。
 40歳で野球の現役を引退すると、体を動かす機会が少なくなったこと、子供も手がかからなくなり、自由になる時間が増えたことで、空いた時間の消化手段が必要になった。なんとなく奥さんと2人で山に行くようになったのはこの頃からではないだろうか。丹沢もいろんなルートから歩いた。
車にテント道具を積んで登山道入り口の駐車場に行き、その日は車の後ろにテントを張って寝、翌朝早く山に入る山行を繰り返していた。この頃八ヶ岳を歩き回った。鳥海山、月山はこの頃の思い出の山だ。白馬、杓子、白馬鑓へは長女を連れていった。アイゼンを買おうと決めた山だ。北岳には次女を連れていった。これでわが国の1,2,3位の山に登ったことになる。
家族で白山にもいった。雨にたたられ、全員ずぶ濡れで逃げ帰った。雨具の重要性を思い知らされ、ゴアの雨具を買うことにした。飯豊に行ったのもこの頃だ。あそこも雨だったな。ログのペンションを見学がてら、唐松五竜も歩いた。新宿から夜行で行った燕岳・大天井・蝶が岳、北アルプスの稜線がきれいだったな。
 この当たりから「趣味の山」になったようだ。一方でゴルフに対して興味をなくし、やらなくなった。もうひとつ、里山での小屋暮らしを夢見始めたのは必然だったようだ。
 1998年に待望の小屋を白州にもった。M夫婦、Y夫婦という山友達ができ、小屋を基点にますます山に行くようになった。Yさんから催促されるように毎月山行予定を作るようになる。毎年1月の雪山も恒例になった。白州を基点にすると、北アルプス、八ヶ岳、中央アルプスがグランドになった。八ヶ岳は北の蓼科から南の清里まで繋がってしまった。5月の立山、日本にもこんなスケールの山があるんだと感激。夏の空木、嵐で小屋が飛ぶかと心配した。爺が岳・鹿島槍、雨飾山、火打・妙高、燧ヶ岳・尾瀬、会社の登山クラブでも那須、安達太良、谷川等も行った。
 日本狭しとよく行ったもんだ。日本百名山も40数山登ってきたことになる。
 今どうしても行きたい山が2つある。
 ひとつは甲斐駒ケ岳。僕の友人的山だ。白州の小屋の裏に聳えてる。なぜ友人かというと、これまで4度計画するも登らせてくれない山なのです。1回目は1998年、小屋を持った年です。記念登山とばかりにM夫婦、Y夫婦と計画したのですが、実行2週間前に突然の大病。緊急手術、入院。これでは行けない。その後毎年のように計画するのですが、天候に恵まれず登ってません。
 あとひとつは槍ヶ岳。山を趣味にしてる日本人なら登って見たい山ですよね。
 まだまだ生きたい山はある。剣岳、利尻岳、上州から関越の山もいい。
山は逃げていかないし、なくならない。心配は自分の体力がなくなることだ。人が2日で行くところを3日でいけばいのです。これからは時間があるのだから。まだまだマイペースで山を楽しみたいもんだ。
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胞子の飛ばない杉

2005年06月21日 13時33分11秒 | 森をとり戻せ
胞子の飛ばない杉            2005.01.26

 先日、TVで「胞子の飛ばない杉」があって、富山の林業試験所でその株を増やしているというニュースをやってた。

 あくまでも突然変異でできたものらしく、自然界に50本に1本くらいの割合で発生してるようだ。

 このニュースの中でこの株を研究してる研究員が「これからもっと株を増やし、今花粉を飛ばしている木を飛ばさない木に替えていきたい」と言ってた。科学者の非社会性と、自分が育てたものへの偏向性を見たニュースだった。

 悪い杉を切ることは理解できる。しかし、その代替木としてまた杉ですか?日本の林業は安い外材に押されて、需要がなく、経営が成り立たなくなっているのですよ。それなのに杉を植えてどうしようというのか。
 一方 林業の後退で、手入れが行き届かず、荒れた山になっている。針葉樹故に落葉せず、土地がやせてきたことも指摘されている。これが水害の原因となっていることは十分理解されてることでしょう。
 「花粉の飛ばない杉」ではなく、クヌギ、桜、ナラといった落葉広葉樹に切り替えるのが正しい選択ではないのか。 こういう社会性を無視して、「我が子かわいさ」だけで結論を出す科学者は退場していただきたい。
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プロフィール

2005年06月21日 12時18分00秒 | プロフィール
1950年生まれです。とれたのは福井県。男性。
中2の時に神奈川県に移住。以来、高校、大学、社会人を神奈川で過ごしてきました。
今年2005年4月末日をもって32年勤めた会社を退職しました。
一般的な定年まではあと5年あったのですが、思うところがあって、辞めました。
この過去に対してまたは未来に対して「思うところ」を私のメッセージとして表現して
行きたいと考え、Blogを開設しました。
これからよろしくお願いします。
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My-Blogを解説しました。

2005年06月21日 12時04分54秒 | プロフィール
以前からBlogを始めたいと考えてました。やっと開設しました。
岳チャンからのメッセージ、写真を投稿していきます。
とりあえず、私のプロフィールを読んでください。
左のCategoryを参照下さい。
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