昨日オペラ公演で指揮する(マエストロ)瀬山さんの講演を聞きに行った。 オペラ合唱を一緒に歌ってる仲間に図書館の館長さんをされてる方がいて、その方が以前に瀬山さんの話を聞き、かつ日頃歌練で彼の人となりを見てくるにつけ、自分の図書館で講演をやって欲しいと依頼したそうなんです。それに答えて瀬山さんが「じゃ今年は3回で」と決まり、昨日が1回目だったという訳。ちなみに瀬山さんはウィーンに自宅がある人のはず、日本で仕事が予定されてるところに上手く入れ込んでるんでしょか。
さて、彼の音楽に対する想い、人生を語る場であって、決して9月の座間公演を宣伝するものではないのは当然です。とは言え、次回は8/20で座間公演直前、テーマは「ラ・ボエーム」を取り上げるとおっしゃってた。宣伝というより、そのころはボエームの楽譜が頭の中を占めてるので、他は語れないのかもしれない。
そこで昨日は。 「モーツァルトは何故こんなに好かれるか」というテーマで彼の考えを歌劇「魔笛」を題材に解説してくれました。
一言で言ってしまえば 「聴衆をいかにして楽しませるか に苦心し、曲作りをした人だ」というのです。その対で「ベートーヴェンは自分の音楽境地、感性を追求した人だ」と評してました。この見方はすごーく納得出来る解説で「上手い、座布団5枚」でしたね。
「どうしたら喜んでくれるか」を考えて行って、その頃まだなかった「音楽技法」をいろいろ思いついていったんだというのです。それを実際にピアノで音を出して「あの当時、こう来たらこう展開して、サラッと終わったんです。でもモー君はこう変化させて、さらにこの音をたしてるんですよ。魅力が増してませんか?」 こうやられたら、納得しちゃうんですがね。
魔笛では役どころ別にテーマメロディーを持たせるという手法も初めて編み出したんだそうです。そしてそれぞれの調性(ハ長調とか二短調とか)が持つ色合いがその役の個性を表わすものにまで高めたんだとの解説でした。そう言われると「そうかもな、そんな神聖な調性だな」と聞こえちゃいますよ。説明しきれないが、魔笛では役どころの個性が大きな対比になって構成されてる。ここも調性で対比させてるとまで言うのです。 マエストロとなると楽譜からこんな所まで読み取って、曲を理解するのかいな。
最後に 僕が昔からもってる疑問。昨日の話だけでは全く未解決。
調性ってぼくには「長調と短調だけがあるのであって、ハ長調とト長調に感じる違いは無い。ちょっと音域が高いだけ」というものでしかないんです。ギターで弾き語りやる時、その音域だと声出ないからカポ使って音域を変える。これって「調性の変更」ですけど、だからといって何か歌の感じが変わるものでも無いでしょうとずーっと思ってるんです。だからモー君の「調性には色が有り、個性がある」という説(瀬山説が正しいとして)には簡単に納得できないのです。
さて、彼の音楽に対する想い、人生を語る場であって、決して9月の座間公演を宣伝するものではないのは当然です。とは言え、次回は8/20で座間公演直前、テーマは「ラ・ボエーム」を取り上げるとおっしゃってた。宣伝というより、そのころはボエームの楽譜が頭の中を占めてるので、他は語れないのかもしれない。
そこで昨日は。 「モーツァルトは何故こんなに好かれるか」というテーマで彼の考えを歌劇「魔笛」を題材に解説してくれました。
一言で言ってしまえば 「聴衆をいかにして楽しませるか に苦心し、曲作りをした人だ」というのです。その対で「ベートーヴェンは自分の音楽境地、感性を追求した人だ」と評してました。この見方はすごーく納得出来る解説で「上手い、座布団5枚」でしたね。
「どうしたら喜んでくれるか」を考えて行って、その頃まだなかった「音楽技法」をいろいろ思いついていったんだというのです。それを実際にピアノで音を出して「あの当時、こう来たらこう展開して、サラッと終わったんです。でもモー君はこう変化させて、さらにこの音をたしてるんですよ。魅力が増してませんか?」 こうやられたら、納得しちゃうんですがね。
魔笛では役どころ別にテーマメロディーを持たせるという手法も初めて編み出したんだそうです。そしてそれぞれの調性(ハ長調とか二短調とか)が持つ色合いがその役の個性を表わすものにまで高めたんだとの解説でした。そう言われると「そうかもな、そんな神聖な調性だな」と聞こえちゃいますよ。説明しきれないが、魔笛では役どころの個性が大きな対比になって構成されてる。ここも調性で対比させてるとまで言うのです。 マエストロとなると楽譜からこんな所まで読み取って、曲を理解するのかいな。
最後に 僕が昔からもってる疑問。昨日の話だけでは全く未解決。
調性ってぼくには「長調と短調だけがあるのであって、ハ長調とト長調に感じる違いは無い。ちょっと音域が高いだけ」というものでしかないんです。ギターで弾き語りやる時、その音域だと声出ないからカポ使って音域を変える。これって「調性の変更」ですけど、だからといって何か歌の感じが変わるものでも無いでしょうとずーっと思ってるんです。だからモー君の「調性には色が有り、個性がある」という説(瀬山説が正しいとして)には簡単に納得できないのです。