カワセミ側溝から(旧続・中岳龍頭望)

好きな言葉は「のこのこ」。好きなラジオ中継「相撲」。ちょっと苦手「煮た南瓜」。影響受けやすいけど、すぐ忘れます。

「純化」というらしい

2011-12-18 | ことば

 韓国の外来語の取り扱いについてのレポートを見た。外来語の氾濫で、社会的に影響があるものらしい。そこらあたりは日本とも事情はかなり似ているようにも見えた。しかし韓国からすると日本は外来語について寛容であるように見えるらしい。確かにレポートを見る限りでは、何とか今のうちに手を打っておきたいという気持ちが強いようにも思えた。外来語の中でも、若い世代が使う日本語の影響も大きいように思えた。そこのあたりは日本における朝鮮語も同じようなものだと思うが、日本の場合だと、若者文化という感じでもないのが、なんとなく違うところだろうか。
不必要な外来語は「純化」という言い方をしていたが、出来る限り韓国語でいいかえをする作業をしていた。それは国家的な取り組みというより、影響力の強い放送関係者が自主的に取り組んでいるようだった。
 そういう取り組みは、特に日本や韓国だけの話では無く、フランスなどの国もやっているという話も聞いたことがある。一般の会話にも支障が出てくるくらいに、外来語が入ってくるスピードは速いのだろうと想像される。
 日本の場合を見ても、はっきり言って僕自身も既に外来語の多くを意味の分からないまま耳にして受け流すことが多くなっているようにも思う。もうどうにもならない、というくらいの諦めにも似た気持ちがあるようだ。会話の途中で遮って意味を聞いても、追いつかないくらいに多用する人も実際には多い。大まかにはこちらが適当に意味を当てはめて対応するより無いということもあるようだ。
 言い換えられるものは言い換える必要もあるだろうけど、時にはそのままの方がむしろ適当らしいこともあるのが、また厄介な話である。業界の専門用語などにそのような言葉があったりして、行政などがその言葉をコンセンサスにして使ったりする場合がある。これはもう仕方なく使用するより無かったりするが、そのことが本当に適当であるのかは疑問の残るところだ。そのようにして、なし崩しになってしまうことが多いのではなかろうか。
 しかしながら言葉というのは、勢力の強さそのもののようなところがあって、その勢いが強ければ流れを止めることなどはかなり難しい。更にそのまま定着するかどうか、ということの方が問題であって、放っておいても消えるものだってそれなりに多いのではなかろうか。流行りであるだけなら、そこまで神経質になる必要もなさそうだ。若者言葉が分からない、なんていうのは過去だって多かれ少なかれ同じようなものだろう。彼らだってあえて分からないように話しているところもあるのだろうから、分からないままの方がよさそうなものである。そこまでして分かりあう必要もなかろう。
 言葉というのは共通理解のためにあるようなものだが、もともと多様化するような性質もあるような気がする。それで日本語が決定的に損なわれるというようなことがあるとすると、その後に生まれた日本語もまた変化していくだけの事なのではあるまいか。
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