カワセミ側溝から(旧続・中岳龍頭望)

好きな言葉は「のこのこ」。好きなラジオ中継「相撲」。ちょっと苦手「煮た南瓜」。影響受けやすいけど、すぐ忘れます。

オートマティック厳罰化の疑問

2006-09-28 | 時事
 酒を飲んだら車を運転しないとうのは当たり前のことである。その根拠も重大さもよくわかる。酒を飲んだら危険であるのは、車という道具が危険なものであるからに他ならない。免許というものが、専門性のある責任であるということでもあろう。だから運転者には自覚を持ってもらわなければならない。
 厳罰化はそれなりに認める。特に飲酒での傷害事件は、刑としては確かに軽すぎる。街中で酔って包丁を振り回して人に怪我を負わせたという場合と厳密に言って同じようなものであろう。
 しかしながら、公務員の飲酒運転懲戒免職などの処分については、なんとなく釈然としない気分であった。はっきりしたことはいえないが、公務員に対する不信感がここに出ているのではないか。先の子供が死んだ事故の加害者が公務員で、隠蔽体質の動きに許せない思いのある人も多いのだろう。多くの自治体が厳罰化の方向性を表明する流れができてしまった。なんとなく後出しの首切り処置というか、表明することが禊のような感じになっている。
 飲酒運転の摘発や事故が多発しているというが、取締りが厳しくなっているだけで、本当に増えているのかは疑問だ。これだけ社会問題化しても飲酒運転をしようという人は、かなりの少数派か馬鹿であろうと思うが、それでもつかまるのだから、よっぽど飲酒運転という習慣は蔓延しているとも考えられる。確かに飲酒運転で帰る人は身近にもたくさんいる。つかまった人だけが悪いというのはなんとなく不公平な感じがしないでもない。
 忘れられた歌手が飲酒運転のうえ傷害事故を起こして自殺した。これなどは象徴的で、この時期でなかったらこういうことにまでなってしまったのだろうか。
しかしながら驚いたことに、僕の職場の同僚の反応も冷たかった。飲酒運転をしてたんだから(自殺するのは)当たり前ではないか、という。一人ではなく、やっぱりそうだよな、という共感があるらしい。僕はそういう反応に、やはりなんともいえない違和感を覚える。
 兵庫県の知事がオートマティック(自動的に)懲戒免職は他の懲罰と(処罰の程度が)かけ離れており、行き過ぎではないかというコメントをもらし、逆に批判にさらされている。飲酒運転即懲戒免職というのは、その職場のルールとしては確かに行き過ぎの可能性はあると思う。普段電車通勤をしていて、飲酒運転のばれない人も出てくるのではないか。正直者は処罰され、逃げ切りがもうけものなんてこともありうるようにも思える。
 夜間のひき逃げは圧倒的に飲酒運転である可能性が高い。それは当然だと思う。飲酒運転の厳罰化で、さらにひき逃げが増えはしないか。
 だいたい、自動車事故と飲酒運転の事故の差が大きいというのもなんとなく引っかかる。行政処分として厳罰化はいいと思うが、特に傷害事故を起こした場合、怪我をしたことにはあまり変わりはないのではないか。ましてや相手が死んだりなんかすると、殺されたほうは飲酒であるとかどうであるとかにかかわらずに殺されたと思うのではないか。飲んでというのはとんでもないとさらに怒りが増して、飲んでなかったのであきらめるということではないだろう。殺す意思(動機)があったかなかったかは殺人には重要であるというのは、なんとなくわかるようでわからない。死んだことにちっとも変わりはないではないか。もう少し交通事故の殺人のほうを、飲酒かどうかにかかわらず、重くする必要があるんじゃないだろうか。
 刑罰が重くなって刑務所に勤めなくてはならなくなれば、自然に失職するだろう。そういう場合のオートマティックな免職であれば、誰も異論をとなえなくなるように思う。
 今の厳罰化の流れで市民生活が安全になっているとも思えない。繰り返すが飲酒運転は確かに絶対的な悪であるけれど、飲まなければいいってもんじゃないからこそ、公務員の厳罰処理に引っかかるのだろうと思う。個別の凶悪なケースを十分に法で処罰できないという不公平感と怒りが、行き過ぎた感覚を助長するのであろう。
 しかしながら地域格差というが、車の必要度は都会と田舎ではまるっきり違うものだ。結果的にいろいろと影響が出てくるんだろうなとも思うのである。

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