カワセミ側溝から(旧続・中岳龍頭望)

好きな言葉は「のこのこ」。好きなラジオ中継「相撲」。ちょっと苦手「煮た南瓜」。影響受けやすいけど、すぐ忘れます。

夏は踊る季節なのかもしれないが

2022-07-24 | 時事

 勘違いしている人が多すぎるので、メモ的に記しておく必要があるのかもしれない。
 こういう時は原則に立ち返る必要がある。死の危険がある感染症だから、国が規制してでも広がりを抑えなくてはならない、という話だったはずである。亡くなる人がいることは確かだが、これはトレードオフの問題があって、病気で亡くなるより規制することによって亡くなる人が多くなっている可能性が高い現在において、どちらかを選択する必要がある(はっきり言うとコロナを規制したせいで亡くなった人のほうが、病気で亡くなった人より遥かに多い可能性のほうが高いのである。今後はその差がさらに広がりそうだ)。他国が規制を緩めている理由は、合理的にそういう事である。非合理ならばそういうことはしない。さらにそれを理解できる国民性があるということか(実際に日本人は聡明でない可能性が高い。今のところそのような反応をしている人々が、比較して明確そうな証明しかない。なにが国民として劣っているかは、今後とも考える必要がある)。そもそも総量で感染者が何人であるという執拗な報道をしている国は少数であろう。だからこそまずやめるべきは一日の感染数のみをスクープしないという落ち着きだろう。
 さらに規制緩和が必要なのは、濃厚接触者である。これは政府が冷静に判断して、定義を変えた。どうしても過剰反応して無症状でも陽性者が出ている現状があって、さらに濃厚接触者が社会を停滞させるわけで、いわゆる踊らされるだけのことで何もできない人々を生んでしまう。冷静に考えると、症状がない人までの規制は、これまでが過剰であった反省であろう。
 さて、しかし感染者が増えているではないか、医療現場は大変である、というのがある。それは感染症や病状の結果である。現状が規制することにより、そのような現状を緩和できる可能性があるのであれば、やるべきかもしれないという議論はある。しかし、そのような可能性において規制強化が有効でなかったことしか、これまでの経験で分かったことは無いのである。特にその水準を今後は越えてくる(ピークがよくわからない)。だからこそ必要なのは、冷静になって重傷者に真摯に向き合う事である。命の大切さを本当にまじめに考えるならば、ふざけた恐怖感ややじうま根性で揶揄するのではなく、必要な人に届く政策を精査して行う仕組みの再構築にあるとしか言いようがない。なに、何も難しいことは無い。すでに日本以外の多くの国は、そういうかじ取りを切ってそれなりの時間経緯を得ている。日本人の狭窄視点を広げるだけで、世界は変わるのではないだろうか。
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