カワセミ側溝から

好きな言葉は「のこのこ」。好きなラジオ中継「相撲」。ちょっと苦手「煮た南瓜」。影響受けやすいけど、すぐ忘れます。

カマトト嫌い

2022-07-18 | 境界線

 僕は日常的に映画を観ているが、見ていて時々耐えられないくらいイライラすることがある。直接的な言い方で申し訳ないのだが、いわゆるバカが嫌なのである。ふつうに警察に通報すれば済むことをやらなかったり、危ない目に合うかもしれないのに準備をしなかったり、自分の仲間を傷つける可能性があるのに、軽率だったり。映画的な文法として仕方のない場合もないではないが、わざわざそういう痛い目にあいたい人間がそうなってしまうのは、まったく同情できないし共感できない。まさか愚かな人間は愚かな罰を受けるべきだと考えて映画がつくられているわけではなく、そのような不幸に見舞われた人間を救済すべくストーリーが練られている可能性があるのだ。そうすると映画の作り手に問題があるという事になり、急激に映画の価値が下がっていくことなる。そういうイライラを伴いながら、サンクコストを払いながら映画を観続けている自分の馬鹿さ加減にも呆れるし、しかしひょっとするとこの先、見ていて救われるかもしれない期待にあらがえない。人間とは本当にちっぽけで弱い立場なのだ、と痛感させられる。
 この馬鹿な人間に少し似た立場で、なおかつ映画的に多い人物に、カマトトがある。知らないなんて考えられない立場の人間が、あたかも全くそのことに気づかないままに、ストーリーとして主要な人物であり続けていることに、心から嫌気がさしてしまう。だいの大人が、そんなことはあり得ないのである。ましてや恋の主人公たる女の人が、そんな心情でいられることはあり得ない。しかしあり得ない人物は、カマトトとして君臨し続ける立場にある。それはカワイイと混同して存在し続ける、勘違いなのである。いや、せっかくかわいい主人公であっても、カマトトであるだけで、なんだか人間的に汚く厭らしいどろどろとした心持のある人間に思えて仕方なくなる。そういう人間を応援しながら見続けられるのだろうかという不安を抱えながら、見た目はかわいくも心の汚らしい人間が成功するのを見届けなければならない。それは見ている人間の人間性まで貶められる蛮行なのではあるまいか。
 という事で、お願いしますから、自分の気持ちや心に偽らず、それでもそのようにふるまう事こそが難しい現実社会を、うまく乗り切ってもらいたいと思います。それはカマトトには起こりえない、真の人間らしい成長のためなのである。
コメント
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