風呂に入っているときには、たぶんいつも何かを考えている。風呂に入ると言っても、僕はほとんどシャワーで、風呂につかるのは週に一回程度だが、そうであっても風呂に入るとは表現として使うので、勘弁してほしい。要するにシャワーを浴びているときに、ああいうところでの動作というのは、ほとんどルーティンになっていて、何か考えて洗うというようなことをしないでいい。いわば次はどうやって洗うなどはしていないと思う。自動の行動になっていて、そういう時には別のものごとを考えるのに都合がいいのかもしれない。おそらくだが、僕以外の人たちもそうしているのではあるまいか。そうしているでしょ?
しかし、不思議なことにこの時に考えたことを後で思い出そうとしても、むつかしいのである。これがどうしてなのか、僕には分かりかねる。何かを考えて、上がったら何かしようとしていたことまでは思い出せるのだが、上がった後は、そういう考えを持っていたこと自体を忘れてしまう。それもきれいさっぱり。おや、何かしようとしていたけどな、とは思いだすことはあるが、何かそのことが頭の中の霧のかなたに霞んで見えなくなっている。惜しいところまで行くことはあるが、その時はその霧の中をさまようことしかできない。ヘウレーカ、とか、ユーレカとか叫んで風呂から飛び出す経験もないし、僕はとてもアルキメデスにはなれそうにない。
そういう風にして考えていたことを忘れるのは残念だが、どうせたいした事では無かったのだろうと諦めることができる。何しろそれがたいした事だったかどうかさえ分からないのだから。しかしながら困るのは、そうやって考えていたことと、その時気付いたことも含めて忘れてしまうことがあることだ。どういうことかというと、シャンプーが切れそうだということも忘れてしまうのだ。上がったら補充液があるのかどうか、確かめてみよう(実際はつれあいに聞いてみようだが)、と確かに考えたはずなのだ。しかし次にシャワーを浴びるときまで思い出すことができない。あっと思って確かに昨日そう考えたことは思い出せる。その24時間近くの間がなんなのかはよく分からない。上がった後に何故思い出せなかったのか。本当に悔しい。
風呂の中でシャンプーを思い出すように、ずっとそのことを考え続けていたこともある。繰り返し繰り返し考え、忘れないようにと思う。僕はシャンプーの後に体を洗い。その後髭を剃る。シャンプーの後の時間が長くなるのである。繰り返し忘れないようにしていたはずなのに、もう飽きてしまって、いつの間にか反芻を忘れている。そうとしか考えられない。何故なら上がった後には忘れているから。
風呂から上がったら、風呂での出来事を思い出すようにしようとメモ書きをして風呂に入ったこともある。しかしどういう訳か風呂から上がるとそのメモを読み返そうともしない。シャンプーが完全に切れていない場合は少しだけお湯を足して薄くなったシャンプーで洗う。そうしていよいよ出なくなると、石鹸などで洗う。髪がゴワゴワするように思える。
でも、シャンプーの詰め替えは時々行っている。これは困ることなので、ときどきは思い出すことができるということだ。困る状況なら思い出せるのなら、やはり風呂で考えたことのほとんどは、思い出せなくても困らないことなのだろう。そうであって欲しいものである。