アメリカン・ユートピア/スパイク・リー監督
ブロードウェイのショーの映画化なのだが、実際には映画の枠には収まらないし、そうしてショーとしても型破りかもしれない。元トーキングヘッズのデビット・バーンを中心とするバンドというか、パフォーマーのステージ・ショーには間違いないのだが、そうとばかりも言い切れないのである。確かに歌を歌い演奏をしているだけといえばそうなのだが、しつこい様だがそれだけだと思ったら大間違いである。
まあ正直に言うと、観始めた最初の数分は、何だ、元トーキングヘッズのライブじゃないか、と思った。デビット・バーンの姿は初めて見たが(というか覚えてないと思っていたが、昔の写真をググってみると、昔の写真の姿は覚えていた。ほんとに変わり果てている)、改めておじさんというか、ほとんど老人になっている(69歳ということだ)。しかしながらもともと歌が上手いという感じの人でもなかったし、ロックバンドとしてはインテリすぎるというか、ちょっと鼻にかかっている感じで、ロックオタクに好かれるタイプのポピュラーな存在では無かった。でも、僕の高校生くらいの時は何故か売れていて、僕もCDは持っている(探せないが、大人になってから再度思い出して二枚もっているはずだ)。一応教養のためにかっこつけて聞いていただけのことで、好きなバンドだったわけでもない。数年前にラジオでデビット・バーンの新譜を聞いて、まだ頑張ってるんだな、と思った記憶があるが、たぶんこの映画とも関係があるのかもしれない。
あえてこのライブを映画というとすれば、このような新たな可能性を持ち、非常にクリアな主張を観る者に投げかけているメッセージ性の高さにある。それは今風に言うと多様性の重要さであり、自由を担保するために、自らも意識的であるべきだ、ということだ。自由は降ってわいてくるものではないし、常にある意味では戦い抜いて勝ち取らなければならない。そしてそれは、何よりも高い価値で尊いものなのだ。
そういうものを、単に言論でもって主張すると、何か一種の気負いというものがどうしても表に出てしまうし、戦いという好戦的な態度が前面に出てしまうと、対立項とぶつかり合ったり、かえって我慢を強いられる立場の人たちを作り出してしまったりするものである。ところがこのステージをみていると、パフォーマンスの素晴らしさに、いつの間にか身をゆだねて、そうしてまさにそのユートピアの形が、目の前に現れるような気持ちにさせられるのである。黒人でなくても、他の大陸の人間でも、ましてや白人であっても、非常に深い理解とともに、この価値観を共有できるのではないだろうか。素晴らしいのである。
映画の枠ではないが、映画として高い評価が得られ続けているのは、それはやはり凄い映画だからだ。こういうことが起こるから、食わず嫌いはよさねばならない。