カワセミ側溝から(旧続・中岳龍頭望)

好きな言葉は「のこのこ」。好きなラジオ中継「相撲」。ちょっと苦手「煮た南瓜」。影響受けやすいけど、すぐ忘れます。

小屋を見せてもらう

2022-04-07 | 散歩

 散歩してたら、この地区のおじさん(とはいえおそらく七十代のお爺さん)が交差する道を歩てきたので、挨拶を交わす。最近畔をコンクリートで固める作業を進めていた。一段落されている様子だったので「きれいに仕上がったですね」とお声がけをした。
 それでこの地区の主に田植えの苦労話を一通り聞かされて、そういえば、というような顔をして、ついて来いというような手招きをしながら元来た道を戻っていく。行きがかり上付いていくしかあるまい。おじさんは手にワンカートンの煙草を掴んでいて、それを新しくできた白いコンクリートの畔の上において、そばにある小屋まで僕を連れていくのだった。線路わきにあるその小屋は、主道路を十時に横切る一番端の突き当りにあって、僕の散歩道からは見えはするものの、どん詰まりというのは容易に見て取れることと、こういう小屋に近づいていって、泥棒と間違われてもつまらないので、あえて近距離に寄るのを避けていたかもしれない。
 間近に見るとこの小屋は、鉄筋で組まれた立派なもので、コンクリートを敷き詰めた土地に直に鉄骨を埋め込んで柱にして、新建材などを壁にしてちょっとした要塞めいた形をしていた。重たい鉄のレールの扉をゴリゴリ押して開いてみると、中にはトラクターやコンバインなどの乗用農業機械が三台ばかり並べられていて、その脇にもアタッチメントでトラクターに接続されるさまざまな農機具が備えられていた。壁側に肥料が高く積まれストックされている。別部屋に仕切られた空間には、プラスチックの大きな水桶が三つばかり並んでいて、水路からの水が自然に蓄えられる仕掛けになっていた。これは消毒液などを中和するのにつかわれるのだろう。また、扉の手前にもう一つ別の空間があって、そこにコンクリートの枠板などの建築資材が詰め込まれていた。真ん中が空いているが、それは小型のパワーショベルがふだんは入っているもので、今は修理に出していて留守にしているのだという。この小屋は、すべておじさんが一人で手作りした代物で、自分が死んでも、誰かが引き継いで使うだろう、と言っていた。場所的に線路わきで一段低いところになっていて、水路から水があふれてこないように、これもコンクリートの擁壁が組まれている。もちろんこれもおじさんの手作りなのだった。小屋には三つばかりサッシの窓が付いていて、おじさんは実は建設業の折に、その窓枠のようなものを作るのを特に得意としていた職人だったのだという。隣町の今もある建設会社の名前を出して、そこに勤めていたということらしい。
 まあ、良いものを見せてもらったとはいえるが、実はすでにお昼休みは過ぎてしまっていた。急いで戻るべきだったかもしれないし、そもそも時間的には見せてもらうのを固辞すべきだったのかもしれないが、それは人間づきあいとして非礼でもあろうかとは思われる。何よりおじさんは、自慢話には違いないが、素人の僕に、実に熱心に建物の建造工程を含め詳しく紹介してくれたのだった。
 またガラガラと重たそうな扉を引き、閉めた後に畔に戻ってワンカートンの煙草を手に取り、僕と一緒に十字路の道まで戻っていった。そうして僕は左に折れて事業所方面へ、おじさんはまっすぐに十字路を登って行って別れた。これからは、こんにちは、の挨拶だけでは済まない関係になったかもしれないな、と帰りながら考えてしまった。
コメント
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