カワセミ側溝から(旧続・中岳龍頭望)

好きな言葉は「のこのこ」。好きなラジオ中継「相撲」。ちょっと苦手「煮た南瓜」。影響受けやすいけど、すぐ忘れます。

存在するが姿がない生活   うつせみ

2021-07-01 | 映画

うつせみ/キム・キドク監督

 若い男は、最初家々に広告を配って回る仕事をしているのかと思われたが、後にその玄関の取っ手につけた広告がはがれていないかを確認し、それが留守宅に忍び込む仕掛けであることがわかる。しかし男は盗みが目的ではなく、家主が留守の間、その家の中で仮ぐらしのようなことをしているのだった。しかも彼は、勝手に料理を作って食事をし、掃除洗濯もやって、壊れているものを修理までする(そのことで、元の家主が困ることになる場合もあるようだが)。それが目的だというのは変だけれど、それこそがキドク監督作品ならではなのである。そうやってある高級住宅に留守だと思って忍び込み、いつものように食事などをしていると、実は家には女がいたのだった。彼女はどうも望まぬ結婚生活をしているらしく、夫の虐待を受けながら、なぜだか逃げ出せずに閉じこもっていた。若い男は女に気づき一度は逃げるが、なぜだか戻ってくると、ちょうど夫に虐待される女を見てしまい放って置けなくなる。夫にゴルフボールを打ち込み動けなくすると、女を促し一緒に連れて逃げてしまう。そうして男と女は、今度はともにこの仮暮らし生活を続けていくことになるのだったが……。
 言ってみれば、それはファンタジーには違いない。ちょっとした、ありそうであり得ない、スリルに満ちた暮らしである。泥棒の中には、一時そういうことをしたことがあるような人もいるかもしれないが、とてもじゃないが、これで暮らしていける人なんていないだろう。実際ちょっとしたミスで、途中これがバレてしまうことにもなるが、物語はその後大きく展開する。それは見てのお楽しみだが、よく考えるまでもなく、この犯罪の罪深さが減じられるわけではないとは、僕は思う。何故なら、僕が家人であるとすると、いくらものを取られていなくても、激しい嫌悪を覚えるはずだからである。たとえ見ず知らずの人でも、一晩何らかの形でお願いされて泊まられた(僕が家を空ける用事があるとかして)のであれば、そこまでは思わないだろうが、勝手にわからないように忍び込まれること自体が、耐え難いことではなかろうか。
 ともあれ、そういうことだからこそ、この物語の奥深さのようなものが感じられるのも確かである。ほとんど科白はないし、途中ゴルフボールの事故により、大けが、ないし殺されてしまう人もいることだし、映画的な文法では、やはりこの二人は許される立場にはない。しかしこの二人の愛は、どうなってしまうのだろうか。その解決の仕方もまた、見事なやり方というしかない。確かに、よく分からないまでも、論理的にそれしかないのかもしれないのである。

 監督のキム・キドクは、人間としてもやはり問題のある人だったようで、その後数々の名作を撮りながらも、事実上韓国映画界(そして国そのものからも)からは追放されていた。才能は有るので、他国で映画の撮影は続け、移住先のラトビアで新型コロナに罹患し、昨年亡くなった。改めて未見のものをこれからぼつぼつ観て行こうと思う。もともと観ていた監督だったが、グロも結構えぐいので一時敬遠していたが、まあ、僕も大人になったので、また見直してもいい頃だろう。
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