カワセミ側溝から

好きな言葉は「のこのこ」。好きなラジオ中継「相撲」。ちょっと苦手「煮た南瓜」。影響受けやすいけど、すぐ忘れます。

依頼された文章は書きにくい

2021-07-06 | つぶやき

 このように頼まれてもいないブログの文章だと、ほとんど毎日といっていいほど書くことになっても苦にはならないはずなのに、どういうわけか依頼を受けて書かなければならないものは、何を書いていいか戸惑うことになる。いや、明確にテーマがあればそれなりに書きやすいのだが(書きにくいテーマもあるが)、ある程度は自由にどうぞ、というようなものが結構あるのである。こちらとしても書きやすいように配慮しているように見えて、迷惑である。まったく専門外のことでもいいから、それについて書けと言われると、たぶんかける。何しろ知らない問題であるなら、ちゃんと書けるようなことはできないだろうから、そもそも気が楽である。専門の分野であれば、そのことについてたくさん書くことがあるので、何を書いていいか混乱してしまう。だいたいうまく説明するための前提だけでもたくさんあって、本題にたどり着ける自信すらない。字数の制限内で何が書けるのだと絶望感を抱くに違いない。だからこそ、知らないことを書きたいものである。
 また、どういうわけか、余裕もないのに、締め切りのようなものが迫ってこないと気分が乗らない、というのがある。実は〆切にそんなに間がないのにもかかわらず、しかしまだ締切日ではない。そういうのが困る。実は今という時間は、少し余裕があったりする。書くのであれば今である、という時に、何かふらふらと他のことがしたくなる。まだ明日があるじゃないか、いつの間にか自分に言い訳したくなる。いや明日は用事が立て込んでいて、そんな余裕は実際はないはずなのだ。しかし今はせっかく空いた時間だから、他のことをしたい。今こそ書くべきだということがわかっていながら、わかっていないふりをしたい。それに本当に何を書いていいのやら、見当がまったくつかないのである。
 なんでもいいのであれば、今のご時世だから、コロナのことなんかはいくらでも書ける。しかしそんなことをしても仕方ないよな、という気分もある。いや、それでお茶を濁すなんてことの方が楽である。楽な道を選ぶべきである。そうなのだが、抵抗がある。もっと他に何かないのか。そうして考えてみるけど、まったく何にもないのである。
 今がそういう状態なのに、それを後回しにして先送りすることで、さらに困るのは自分自身である。今がこうなら、先にはもっと困るはずだ。今のうちに当たりをつけるというか、何か見繕うものの題材くらい見当をつけておくべきなのだ。そうして書き出しでも何でもいいから、その題材のかけらでいいから、書いてみるべきなのだ。そういうとっかかりがあって、あとで見直すと、僕の場合それを添削するだけでも膨大な何かが出てくる、ということが起こらないとも限らない。まあ、起こらないかもしれないけれど……。
 しかしまあ、困る選択をするというのは、やはり愚かである。そうしてその愚かさにまた、染まろうとしている自分がいる。あきれてものが言えない。でも本当に何にも書くものが思い当たらないのである。
コメント
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