カワセミ側溝から(旧続・中岳龍頭望)

好きな言葉は「のこのこ」。好きなラジオ中継「相撲」。ちょっと苦手「煮た南瓜」。影響受けやすいけど、すぐ忘れます。

ブータンのサッカー少女

2021-02-08 | culture

 ブータンで少女サッカー国代表の選手に選ばれるた田舎の女の子の、いわゆるドキュメンタリーを見た。何か学校のようなところに集められて、サッカー以外でも活躍するような子供を教育している。そこでは、繰り返し幸福とは金銭的なものではないと、訓示を垂れている校長先生のお話があるのだった。そういう中で少女はサッカーをしていくが、決してレベルが高い訳じゃなさそうである。でもまあ外国から特別にコーチを招いて指導を行う。そのコーチが韓国人で、韓国人は芸能で憧れの国だが、しかしこのコーチは厳しくトレーニングを行うので、みんな怖がっている。練習が大変そうだけども、少女たちはサッカーが好きだというのが基本にあるようである。さらに故郷に帰るよりも、その地でサッカーをするということに喜びがあり、落伍して代表選手に選ばれなくなることの恐怖があるようだった。実際に指導者も、良い成績が残せない選手は来年は呼ばないと、繰り返し言っていた。少女の田舎での生活は、家で営んでいる商店の仕事も手伝わなきゃならないし、女の子だから家事全般であるお母さんの手伝いもしなければならない。そのような忙しさの中にあって、さらにサッカーをするというのがいかに困難か、ということを知っている。だから代表から漏れてしまうと、再び高いレベルの練習が積めないということかもしれない。そうしたハンデがある田舎には帰りたくない。そういったところだろうか。さらに、幸福は物欲ではない、という教育を受けているにもかからず、やはりそれは若い女の子達である。何か新しいものが欲しいし、刺激が欲しい。化粧もしたいし、いわゆる流行のおしゃれがしたい。都会にも憧れている様子である。サッカーの遠征で外国に行ったのはいいが、今回は残念ながらバングラデシュだった。そういったことにも不満で、また来年も呼ばれたいと思っている。国際試合ではおそらく、洗練された都会のある国へ行ってみたいということじゃないかと思う。しかしサッカーのレベルが高くないために、相手国と戦うと、やはり敗れてしまう。怪我もしてしまう。最後の試合では、すぐに足がつって選手交代をされてしまう。結局彼女は、翌年は選手として呼ばれなくなってしまった。
 そして田舎の生活に帰って、やはり家の仕事のお手伝いをして、しかし母は少しだけ変わっていて、サッカーの国の代表として娘が出たことを誇りに思っていた。彼女はそれだけでも非常に嬉しかったのである。
 物語としてはそれで完結だが、ドキュメンタリーとしてはちょっと気になるところがあった。それというのもブータンというのが、国民幸福度の高い幸せの国であるとして、日本では盛んに報じられ、そうして実際にそのように認知されているだろうことであるはずだ。しかしブータンの少女は、やはり田舎暮らしの不満があるし、物質的な豊かさも求めていると思う。そういう状態を指して不幸であるという決めつけを言いたいわけではないが、しかしそのように思う若い女の子というのは、ブータンにいて当然だと思う。いやブータン以外でも同然だからだ。だからブータンが繰り返し国民の幸福度について、精神的な豊かさこそ大切だと子供達に教えているんじゃないか。それこそ何度も執拗に朝から教えを説いていて、教えているというより、あれはいわゆる洗脳ではないかと感じられた。目の前の物質的な不足から目をそらし、代替案として精神的な豊かさを説いているのではないか。そうでありながら他の授業では、多くの場合英語で先生たちは話をしている。もしかするとブータンでは方言などの問題があって、共通言語を英語にした方が手っ取り早いという可能性も無いではないが、そうでない可能性もある。特に英語の授業だから英語なのではなく、やはり国際的に活躍させる子供を作らないことには、自国の経済の将来性が無いことを理解しているのだろう。 最終的には物質的な豊かさや、経済発展が無ければどうにもならない。実は大人たちも、そのあたりのことは分かりながら、精神性をあえて説いているのではなかろうか。結局女子サッカーに力を入れているのも、国威発揚もあり、国際的な力を発揮する期待が込められているのであろう。いわゆるダブルスタンダード政策をすることが、ブータンの国際戦略なのではないだろうか。
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