迫り来る嵐/ドン・ユエ監督
若い女性ばかり犠牲になっている連続殺人事件が続いている。工場の近くで事件が起こっていることから、会社の保安係をしている男は、警察に協力しながら独自に探偵めいたことを始めて事件を追っていく。主人公の男は、犯人は必ず工場内にいると踏んで、怪しい男を割り出そうとするが、すんでのところで逃げられた挙句、一緒に追っていた仲間を失う。さらに犯人探しにのめり込んでいき、その内知り合って付き合うようになる女を使っておとり捜査のようなことを始めるのだったが……。
映画の中では雨が多く、改革開放の中にありながら閉塞感の残る中国社会を暗示しているような作りになっている。ぬかるんだ道に、エンストばかりするバイクや車。旧態依然とした効率の悪い恐らく国営の工場は、後にリストラをしたり工場そのものを整理したりする。多くの人はそれらにあぶれ、不満がありながら抗うことができない。その上連続殺人も止まらないのである。
映画の始まりには、なんとなくユーモアが感じられ、明るさが感じられていた作調だったが、雨の中くすんだ風景が続く中、段々と軌道を逸して男は狂気の世界に入っていく感じだ。いや、男ばかりでなく、この社会自体がどんどんと暗い未来に迷走していくようなことになる。殺人事件を解くミステリ作品だったはずなのに、もう犯人が誰なのかさえ明確に分からなくなってしまう。結構難しい映画なのだ。
以前韓国映画でこういう感じのを観たことがあるかもしれないな、などと思いながら見ていた。「殺人の追憶」だったか。しかしこれは中国映画で、さらに日本人の僕が観ても、段々と分かるような感じになっていく。中国の閉塞感をあらわした映画が、人間的な閉塞感そのものをあらわしたものになっていくからではないか。そうして行き着く先は破滅しか無いではないか。
結局男は、愛が欲しかった訳でもないし、見栄を張りたかっただけのことなのかもしれない。犯人を追うことばかりに執着して、他の大事なものを見失ってしまう。考えてみると妙な仕事をしている訳で、生産的なことは何にもしていない。いったいこれらは現実のことだったのだろうか。結局嵐はやってきたのだろうか。もうそれすらも分からないのだった。