白ゆき姫殺人事件/中村義洋監督
最初に断っておくと、これは二度目の鑑賞であった。僕のブログで検索してみて分かったのは、2015年の7月8日にあげていた事実だった。しかしまた観てしまったのは、観ていたことを失念していたからだ。記録を見てもちゃんと楽しんでみたということは書いてあるのだが、ナント、ほとんど内容を覚えていなかったので、またしてもものすごく楽しんでみることができた。それ自体は素晴らしい体験にちがいないが、いささか我がことながら呆れずにいられない。これだけ面白い内容を、たった5年ほどの歳月記憶に保持する能力を持たなかったとは……。
原作が湊かなえであることも、前回も今回も意識してなかった。確かに見終わってみると、湊かなえ色は十二分に発揮されている。読んでないくせに分かるのか? と言われると、ちょっと自信は揺らぐけれど、しかしこれはやはりその原作にあるだろう感情の嫌なところなどが、出ているはずだと思う。誰にでもあるだろう嫌悪感や妬みや嫉妬や憎悪などが、実にうまくミックスされて、物語のリアリティを形作っている。そういうものを再現させているだけでも、映画としてたいへんに優れた演出がなされていることが理解されることだろう。演じている役者も適材適所で、実に素晴らしい。もちろんデフォルメがあって、過剰さはあるが、それが無い映画というのは、娯楽作としてそもそも失敗しているに過ぎない。おそらくだが、内容を覚えていて観たとしても、やはり楽しめる映画のはずなのである。
一応ミステリ作品であるが、謎解きそのものを楽しんで驚くものではないのかもしれない。ミスリードしていく展開自体が面白い社会現象を表していて、風刺が効いてグサりと来る。オープニングの表題の表し方の意味も、後になって効いていたことを知る。いろいろ仕掛けもあるし、その表裏の見せ方の違いも、見終わった後にじわじわと楽しめる寸法である。そんなに救いのある話では無い筈なのに、一応の収束も見られる。まったく上手いものだな、と感心しきりだ。素直に楽しんで観ればいいだけのことだけれど……。
そういうわけで、二度目のお勧めなのである。人間個人の持つ、いい感じと嫌な感じというのは、このように分かることが可能なのかもしれない。そして僕は赤毛のアンのファンであって、永遠の友情を信じるものである。結局ギルバートがいなくて残念だったが、それはまた、いつか出会えるはずだということも信じていよう。