平成元年に僕は21歳だったわけで、今の僕は51だ。要するに平成は30年間だったのだから、その事実だけに驚いてしまう。だってつい最近ではないかもしれないが、何しろそんなに前ではないような感覚があるのだ。いつの間にかそんなに昔になってしまったのか。そして僕自身の最大の人生の転換期だったのも確かで、その理由はわが伴侶と知り合ったからだった。正確にはその前の年のことだったのだけど、ほぼ時間的には同じくらいである。そうして昭和64年が一週間ばかりあって平成になった。そんなこと誰だって経験したことだから知っていることだろうけど、何か不思議な浮遊感のある転換期だった。とにかく昭和天皇の体調が悪くなって、報道は連日その脈拍・血圧だとかの状態を事細かく報じていて、世の中は年末年始にもかかわらず自粛ムードで、カラオケで歌っている人がいると注意を促すような空気があった。今ではとても信じられない感じだろうけど、本当のことである。イベントというイベントは中止か延期で(何しろ会場がイベント事に貸してくれない。公共の空間はそもそも判断してもくれなかった)、スーパーの安売りだって静かにやっている感じだった。浮かれているのは罪だったのだ。そういう意味では、まだ戦時中のようなものだったかもしれない。平成に代わったすぐには、まだ国が喪に服すような空気も無いではなかったが、だいぶ様相が変化した。なんだか締まりのない年号だな、ということは言われていたけれど、案外すぐに慣れていく。そうして自粛ムードは解いていい、ということを言い出す人が増えていった。雪解けの小川のように、徐々に水量が増していく。そんな感じの幕開けではなかったか。僕は短大を卒業し、留学することになった。香港の高層ビルを経由して、水牛が泳ぐ川のあるまちにたどり着いた。凄い環境の落差だった。僕は自分の名前を中国語読みで呼ばれても、返事ができないほど言葉が分からなかった。そうしてじきに天安門事件が起こるのである(ウーアルカイシは僕と同年代だ)。同じ6月に美空ひばりが亡くなっており、日本では大変な騒ぎだったと後に聞くが、僕にはそんな記憶がさっぱり無い。要するに中国の泉州というところにいたので、そんな報道はつゆとも知らなかったのだ。ひと月くらいは、日本に帰られなくなった(国交が断絶され、国境が閉鎖されるなどの騒ぎ(噂))などとのデマなどで動揺の中にあり、結局一時帰国することになった。平成のスタートというのは、そのような不穏な青春の真っただ中で、時代に翻弄されてどうにも個人の力を失ったような、そういう感慨のあるものだった。そうして結局、そうしたものに飲み込まれて、自分自身を失っていく時代の始まりだったのかもしれない。一時帰国は解かれ、再び僕は泉州にもどる。なかなか生活習慣に慣れず、激しいホームシックと闘っていた記憶がある。帰りたいが帰ってはならない。そんな気分だった。そうして年末にはベルリンの壁が崩壊する。何か、本当に時代が大きく動いているということを実感できた。今の人には考えられないことかもしれないが、僕らは冷戦下の核兵器に巻き込まれて死ぬかもしれない、という恐怖の中に十代を生きてきた。そういう世界観が何の苦も無くなくなってしまうなんて、最初はとても信じられない気持ちだった。そうしてそのような気分が、平成の最初の年に起こったことだったのだ。
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