自負と偏見/ジェーン・オースティン著(新潮文庫)
断るまでもなく英国の古典的名作である。そうではあるが分厚いし、男である僕が中年になって手に取るような小説とは考えにくい。まあ、ふつうは表紙さえも見ないものではないか。ところがそうしてしまったのは、なんとなく古典的な英国の階級社会の日常というものが何なのか、覗いてみたくなったのと、この作品が映画界では繰り返し作られていることを知っているからだ。「高慢と偏見」であったり「自負と偏見」であったり「プライドと偏見」というのもあるが、すべてこの小説を題材にしている。映画だけでなくドラマ化された作品も多数ありそうで、まるで水戸黄門のように繰り返し量産されている。おそらくだが、そのような作品を二作ほどは観たことがあるのだが、また、別の原作を持つ作品も観たのだが、何かあまり感心することはなかった。ところがである。ある一定の女性の心を離さない傑作として語られていることを、何度も聞くことがあるのである。僕は確かに子供のころから何故だか少女漫画が好きであるにもかかわらず、女心の機微がちっともわからないままであるのだが、さらに女性の心をとらえて離さない作品をみても、その良さがなかなか分からないのは何故であろうか。それは、原作そのものが悪いのではないか。
読んでみて驚いたというか、何だろうかこの作品は。後で解説を読んでみてその通りだと思ったのだが、このお話のスジは、実はちっとも大したことなど起こりはしない。ストーリーは確かにあって、事件らしいことも一つくらいは起こりはするが、まったくどうして、ただ単におしゃべりを交わしたり手紙を書いたり、散歩したりするだけのことなのである。それが本当に延々と続いているだけなのだけど、ある程度とっかかりがついてくると、どうにも次のぺージが気になって仕方がなくなっていく。さて、そうして読み進んでいったとしても、やはり大したことなど起こりはしないのだが、しかし実に驚くべきことのようなことがあって、たぶん先にはどうなるだろうと分かっているようなところがあるとしても、それが何かとても意外というか、いやちっとも意外でもなんでもなかったと後になってみるとそう思うのだけれど、何かひどく感心させられるような、印象に残ることが書かれているのである。作り物の話であるはずで、実際に滑稽さとか誇張だとかいう仕掛けがふんだんにあるにしても、何かこれは真実そのもののような迫力を感じる。なるほど、これが名作の力なのだと恐れ入った次第である。
その時代の階級社会にあるゆるぎない地位や差別や偏見などは、現代人の目からするとずいぶんひどいものであるように感じられるかもしれない。しかし、その中にあって、実に自由な精神性と現代的な思想のようなものさえ見出すことができないだろうか。なるほど、恋愛というものが、人間の営みとして本当に普遍的なものだったのだと、本当に感心してしまうのだ。まあ、呆れたり面白がったりしながらだけど。しばらく移動カバンの中にあってボロボロにしながら読んだわけだが(古本で買ったし)、なんだかこれ自体がいとおしいような感じになってしまった。また、映画でも見直してみるかな。