カワセミ側溝から

好きな言葉は「のこのこ」。好きなラジオ中継「相撲」。ちょっと苦手「煮た南瓜」。影響受けやすいけど、すぐ忘れます。

明日佳君と自学ノートのすすめ

2019-05-06 | ドキュメンタリ

 ドキュメンタリーで梅田明日佳くんという少年のものを見た。北九州のこどもノンフェクション文学賞・中学生の部で大賞を取った人だ。今は高校生になっているらしい。テレビを見た後に、すぐにネットでダウンロードして受賞作も読んだ。「ぼくのあしあと 総集編」という。
 明日佳君は17冊(現在は20冊を超えている様子)にも上る自学ノートを付けている。それは新聞の切り抜き記事だったり、気になったところに出かけて行って(博物館のようなところ)見聞きしたことを、克明に記録したものだ。それをもとに研究論文のようなものを書き上げていく。小学校時代の自主研究(宿題)がもとになっていて、すでにその宿題をする必要はなくなった中学生になっても(そしておそらく高校生になっても)、まるで個人で部活動をするがごとく続けている研究(?)なのである。
 研究そのものが面白いのはもちろんだが、この研究対象となったりしてかかわっている大人たちが、一様にこの明日佳くんに影響を受けているらしいことが何より凄いのである。明日佳君は関心を持ったことに関して、ぐいぐいと取材を深めてノートにつけていく。感想を手紙に書いて、その研究にかかわる大人に送る。受け取った大人たちは、その真摯な姿勢に心を打たれて、また返事をしたり対応したりする。例えば地元の時計屋さんは、その仕事柄からか、時計に関するコレクションを持っていて、一般に公開したところ、明日佳君がやってきた。そうして感激してくれた上に、その展示されている時計に関する克明な記録を作ってくれるのである。
 地元にある記念館や博物館や文学館などに勤めている人たちにとっては、明日佳君は有名人だ。熱心に展示物を見ているだけでなく、やはり研究成果をじっくりとレポートにまとめ上げていくからだ。これほどまでに自分たちの仕事の一片に情熱をもって関心を持ってくれる人がいるのだろうか。僕はこの文章で紹介しながら目頭が熱くなっている。本当に涙がこぼれて仕方がない。さっきから涙を拭いた長そでシャツの袖を濡らしながら、キーボードを叩いている。こんなすごい子供がいるなんて、本当に奇跡ではないか。
 明日佳君はいっぷう変わった子供でもあるらしい。学校で友達と溶け込むことも無い。むしろ学校は嫌いなようだ。運動も苦手だ。同級生たちは、明日佳君が何をしているのか、そういうことには関心がない。ただ、授業が終わるとダッシュして帰ってしまう変な子に過ぎないのだろう。学校の先生も、明日佳君には関心が無いのではないか。失礼ながら学力が高いわけでもなさそうだ。第一志望の公立の高校も落ちてしまう。
 明日佳君のお母さんは、福岡伸一の言葉を書き出して壁に貼っている。それは彼の著書(ルボシカミキリの青)の一節である。「何か好きなことがあること、そしてその好きなことがずっと好きであり続けられること(略)そしてそれは静かに君を励まし続ける。最後の最後まで励まし続ける」なんて素晴らしいお母さんなんだろう。そうして、なんだか少し悲しい。それはこの世の中の多くが、明日佳君の凄さに理解を示さないからではないか。
 しかしながら僕は、明日佳君は世の中を変えるかもしれないと考えている。いや、明日佳くん自身だけではないかもしれない。明日佳君に影響を覚える人たちによって。この素晴らしさは、誰にだってわかることだからだ。だからこのドキュメンタリーも作られたはずだ。その前に関わった大人たちだって、明日佳君が凄いと誰もが感動しているはずだ。
 明日佳君のノートはさらに積み上がり、きっとまた凄い研究を生み出すに違いない。僕はその出版を待って、頑張っていこうと思う。僕にできることは何だろう。とりあえずノートにつけて、関心を広げることにしよう。
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