カワセミ側溝から

好きな言葉は「のこのこ」。好きなラジオ中継「相撲」。ちょっと苦手「煮た南瓜」。影響受けやすいけど、すぐ忘れます。

こんまりさんに頼ってみるか

2019-05-08 | 雑記

 片づけに「こんまりメソッド」ってのがあるらしい。近藤麻理恵さんという人が提唱している方法で、自分の心、ときめきを大切にものを捨てる残すを選択する方法らしい。この方法は実際に感動を呼ぶらしく、関連本は全世界(翻訳されているという)1000万部を超える大ベストセラーになっているという。凄いですね。
 やり方としては、場所にはこだわらず、モノ別に分類する。それでまずは衣類から。すべての衣類を、まずは集める。とにかく床に広げる感じ。そうして一つ一つを持ってみて、自分の感情で、そのモノに対してときめきを感じるかどうか、ということを基準に、残すかどうかを決めるのだ。
 もちろん物にはそれぞれに思い出などがある。だから捨てられないということが起こり、モノがたまっていく。しかしときめきの考え方にはコツがあって、今の自分に照らして、今の自分にフォーカスして、あるいは自分の夢なり理想などに鑑みて、ときめきの感情を計るものらしい。なるほど。今を生きている自分を大切にするという理念のようなものがあるようだ。
 断捨離を代表とするように、モノの執着を捨てて断ち切るようなものが、片付け道のようなものにはあったと思う。それらとは、完全に違うとは言い切れないまでも、何か様子が違うところが、国際的な支持を受ける理由かもしれない。過去の自分を断ち切るというよりは、今を生きることに特化した結果が捨てるになる、ということかもしれない。
 僕は自分の服を把握してないので、他のもので考える必要がある。一番の問題は本だろうが、家に置くこともすでにあきらめているし、実はまだスペースが残されている関係もあって、考えるのが馬鹿らしいところもあって、やっぱりたまっている。いわゆるためてもいいのだから解決は無い。とすると本は後回しにして、やはり身の回りにある書類、ということになるか。
 とりあえずためている書類は、確かに未分類のものがそれなりにあって、手を付ける時間がもったいない感じがあるかもしれない。何に関してもときめきなんてものは無い。たまになくなっては困るものがそれなりにある。探せば何とか見つかるはずだという期待もある。まあ、捨てていいのは分かっているが、単に面倒なんだろう。月に一度くらいは一角を分類して、大量に捨ててはいる。それが一種の習慣にはなっている。そうして何年か経過する塊も、だいたい十年くらいで大量に捨てる。このサイクルを見直してみるか。
 それにしてもやっぱり面倒だ。やる前に気持ちがときめかないので、先送りしてしまうのだろう。
コメント
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