カワセミ側溝から(旧続・中岳龍頭望)

好きな言葉は「のこのこ」。好きなラジオ中継「相撲」。ちょっと苦手「煮た南瓜」。影響受けやすいけど、すぐ忘れます。

音楽が好きならチャンスはある   ワン・チャンス

2018-04-30 | 映画

ワン・チャンス/デビット・フランケル監督

 ポール・ポッツを扱った映画であることは知っていた。もちろん知っている人がほとんどだから制作された映画だろうし、そういうことで意味のある物語なんだろうとも思われる。ポール・ポッツとスーザン・ボイルは、日本でいうとネットで爆発的に啓発されて躍り出た2大スターである。そしてきわめて英国的なスター誕生物語が、全世界に飛び火して成功したもっとも顕著な例だろう。
 子供のころから歌が好きで聖歌隊などでも歌っていた少年だったが、小太りでおとなしい性格などが災いして、工業地帯のマッチョな少年たちが住む町では、もっぱらいじめられっこだった。青年になってもうだつは上がらなかったが、音楽が好きなことだけは相変わらずであった。しかし、どういうわけかネットで知り合った小太りの女性とも付き合えるようになる(この子がいい子なんである)。イタリアで音楽修業を積める機会に恵まれイタリアに渡るが、緊張の為か歌っているのをババロッティに酷評されて(このババロッティが単に見る目の無い馬鹿にしか見えないが)失意のどん底に落ち、帰国後仕事も上手くいかず彼女とも振られそうになったりする。しかし何とか結婚にこぎつけオペラの舞台にも立てるチャンスが巡ってくるが、本番の前日に盲腸の手術、本番は痛みをおして出演するも舞台で倒れ、甲状腺の腫瘍もみつかる。術後半年して声がだいぶ出るようになって喜ぶが、交通事故にみまわれ1年半にわたり失業し、税金も滞納するなど借金まみれになってしまう。そういう中一発逆転を賭けて、あの番組の出演を決意することになるという訳だ。
 まるで漫画のような上がり下がりの人生である。歌が一定以上の水準であることは、小さい社会の中ではよく知られていたことのようだ。しかし小太りで気が小さく、鉄鋼の町にあってマッチョが苦手、友人たちも人はいいのかもしれないが外れもののいい加減な人が多い。うだつがあがらない下町風情の面々に囲まれた底辺の環境の、更に霞んだ存在だったという事だったのだろう。
 それにしても歌の力の強さとは何だろう。見た目とのギャップで、人々はここまで感動できるという事で、やっぱりそういうのも英国的かもしれない。いや英国人はこれでも認めないというのがあるらしいから、アメリカナイズされた世界観が広がっているという映画かもしれない。もっとも僕のように子供のころからいわゆる洋楽ばかり聞いていた人間からすると、東洋人より変な人たちがちゃんとロックを歌ったりするのが当然なんで、ショックは少ないとはいえる。僕はいまだに西洋人が東洋人よりカッコよかったり奇麗だったりするという感覚はよく分からないし、日本人にもそんな人がいるのはなんだか田舎臭いなという感覚しかない。意外性だから凄いというのはその時の演出であって、やっぱりポッツのようにずっと音楽好きで良かったな、という映画だった。
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