ペレ 伝説の誕生/ジェフ・ジンバリスト監督
いくら昔の人とはいえ、ペレを知らない人の方が少ないだろう。その半生に関しては確かに知らないけど、その後のサッカーでの活躍は繰り返し語られ続け、ブラジルの強さと共に神格化している。子供のころから凄かっただろうことも容易に想像されることで、この映画の意外性というのは、むしろ意外さを越えて懐疑的な気分にすらなった。
ブラジルサッカーの個人技は、ポルトガルからの侵略から逃れながら戦っていたカポエイラのような格闘技などの流れをくむジンガといわれる曲芸っぽい技術なんだという。そういう個人技に長けていたのがペレで、子供のころからずば抜けていたようだ。ただしペレは貧しく、裸足でボールを扱うような環境にあった。もちろんそれでもクラブチームからその才能は見いだされて、徐々に頭角を現していく。15歳でナショナル・チームに選ばれたほどだから、もともと凄すぎるのである。
もっともそういう流れでありながら苦労話が基本的に続く。当時の近代サッカーは、組織的な戦略とパスを重視した潮流があったようで、とにかく個人技で突破するやり方は、いささか古臭いとみなされていたのかもしれない。ペレの個人技は、そういう訳で封印されていたという設定になっている。ところがワールドカップの決勝戦で、封印の圧力を解いたペレがどうなったかという事であるのだった。
まあ、正直言って物語のための演出にこだわりすぎている映画という感じだった。祖国の誇りであるとか、自国を重視したプレーだとかいう事を讃歌したがっているのは分かるが、映画は英語で作られていたりする。それはセールス的に仕方ないまでも、中途半端な側面を映しているようにも思う。せっかく凄いのに、わざわざ力を落とさざるを得ない設定にばかり拘泥して、観るものは歯がゆい思いをし続けることになる。もちろんそれは物語的なカタルシスのための演出なのだが、どうもわざとらしくしつこすぎるのである。シンプルに凄いプレーをするからブラジルサッカーであり、だからこそ強く、その中にあってペレが偉大なのである。時代背景として多少はそういうエピソードは実際にあったかもしれないが、既に後世の事実を知ってる僕らからすると、なんだか興ざめしてしまう感じでもあった。
また、サッカーに理解を示さない母親は酷いし、ペレと呼ばれることを嫌うペレの心情もよく描かれていない。ググったら理由は分かったけど、それでは映画としては説明不足だろう。サッカー好きでなくても楽しめる映画という事のために、いろいろ犠牲にしている演出なのではないだろうか。