カワセミ側溝から(旧続・中岳龍頭望)

好きな言葉は「のこのこ」。好きなラジオ中継「相撲」。ちょっと苦手「煮た南瓜」。影響受けやすいけど、すぐ忘れます。

丁寧でいい人かもしれないが仕事には向かない

2018-04-21 | culture

 最近はメールのやり取りが仕事の一部になっている。当然と言えばそうで、朝からメールチェックが仕事の始まりという人も多いことだろう。メールなんで休みの日も関係なく、個人で仕事のやり取りをする人も多いのではなかろうか。
 そういう迷惑なメールなんであるが、少し気になるのは、このメールの文章の長い人がいることかもしれない。時候の挨拶があるのはいいにしても(定型は型があるのかもしれないし)、何か文章として説明が長い。不必要に丁寧過ぎる修飾が多いようにも思う。結果的に文章の内容のわりに、何かスペースを埋める文字数が多いように感じられる。
 これは多少プレッシャーを感じないではない。返答する内容はイエスかノーかの二択なのに、その理由まで丁寧に書かざるを得ないような圧力を感じる。そうなると推敲するに億劫だし、単純に返答するのが何か軽々しく感じられるような、そんな心象があらわれるようにも思われる。返答は簡単なはずなのに、すぐに返事が出来ない。なにかベースそのものがざわざわと乱されるのである。
 と、いいながら、僕は基本的に短く返答するようには気を付けている。早く返答するにこしたことは無いと感じているからだ。複雑なものが含まれる場合は、メールの案件であってもしつこく電話で相手に連絡をする。ニュアンス的に誤解をまねくより、その方が安全と考えるためかもしれない。メールの文章は長いから理解できるというものではなく、かえって不安をあおるようなものを含んでいるような気配がある。そういうものは直接聞いて確認するより無いように思われる。
 ということで、僕のメールの返答はそっけない場合の方が多いと思う。確認は「了解」(近年はこれを「承知」と書くべきなどの馬鹿なビジネスマナーがはびこって閉口するが)で済ませるし、できるだけ意見を書かないように心掛ける。相手が余分に考えを巡らせないように、逆に配慮しての結果である。まあ、正直言って面倒なだけだけど。
 でもですね。メールの基本は簡素のすべきと思いますよ。たとえ相手が偉い相手でも、メールであるならばそうすべきだ。もっともそもそも依頼など、最初にメールですべきことであるか考える必要はあるだろうけど、メールである以上は、本来的にそうすべきなのである。メールで一日の仕事に支障があるのであれば、メールなんてのは止めるべきなのである。
 ということで基本はメールのやり取りで済む案件はそれでいいのだから、簡単にやりましょう。長いやつは警戒心が生まれるだけで、むしろその丁寧さで、仕事の気力を阻害する。そういう人と仕事が本当にしたいと思うか、よく考えた方がいいのではないだろうか。
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