カワセミ側溝から(旧続・中岳龍頭望)

好きな言葉は「のこのこ」。好きなラジオ中継「相撲」。ちょっと苦手「煮た南瓜」。影響受けやすいけど、すぐ忘れます。

賢いから知り得たことでは無い   マネーショート 華麗なる大逆転

2018-04-20 | 映画

マネーショート 華麗なる大逆転/アダム・マッケイ監督

 サブプライムローンの破綻により米国銀行の倒産劇は、現代の我々からすると誰でも知っていることで、いわゆるバブル崩壊の顛末を描いた作品という事では、ドキュメンタリー的な面白さがあるのかもしれない。が、ドキュメンタリーでは無いので、映画的な視点としては、いろいろと考えさせられる点があった。
 第一点目は、このローンの問題点にいち早く気付いた面々が、それなりに変な人たちばかりという事かもしれない。そうでなければのるかそるかの大勝負に賭けられるわけがないし、ある種の変人的な正義感があり、なおかつ自分を信じられるほどの偏屈さが必要だったという事かもしれない。問題点に気づいてもなお、なかなかまわりの人間を説得することはできない。そのことで、それぞれそれなりに窮地に立たされることにもなる。だからこそ最後に大逆転が待っている訳だが、そういう結末は僕らは既に知っている。本当はそういう逆転があると信じていてもなかなかその時はやってこない訳で、それが何と言っても逆張りの難しさだという事かもしれない。
 よく日本のバブルがはじけるときに、誰もそのことに気付かなかったなどと現代の目で語る人がいるけれど、僕は当時高校生だったが、普通にその時はバブルと言われていて、いつかははじけると普通に皆が語っていたことを知っている。いつかははじけるには違いないが、今はまだそうでは無い。だから乗らなければ損な訳で、はじけたら皆が途中下車したらいいだけのことだ、くらいの感じの方が適切だったようにも思える。はじければ大変だけど、どれだけ大変かなんて特に考えないのがバブルな訳だ。米国の住宅ローンで踊っていた人も、皆が馬鹿だからバカ騒ぎしていたという感じが出ているではないか。気付いていないなんてことは無くて、その時期かどうか、又はそれでも乗り切れる喧騒と堅実さが肌身に感じて分かる人々は、いつまでも乗っているより仕方がないのであろう。
 そういう意味ではバブルだろうとそうで無かろうと、そんなに違いがある訳では無い。今現在であっても軽いバブル期はあるし、経済の問題で考えると、特に日本なんかはいつ破綻してもおかしくない状況である。誰もが賢くふるまえるわけはないし、そんなことを理解していたとしてもその時の人間が逆張りを仕掛けるほどその時を知り得る訳では無い。結果を知っている人がいても、それがいつかは分からないから、この世の経済は成り立っていると言える。そういう意味では、ちゃんと破綻出来て良い事例を映画化したものでは無いだろうか。
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