カワセミ側溝から(旧続・中岳龍頭望)

好きな言葉は「のこのこ」。好きなラジオ中継「相撲」。ちょっと苦手「煮た南瓜」。影響受けやすいけど、すぐ忘れます。

少なくとも黒人芸人はモテる   ショコラ 君がいて、僕がいる

2018-01-10 | 映画

ショコラ 君がいて、僕がいる/ロシェディ・ゼム監督

 1800年代後半のフランス。サーカス小屋で芸を売り込む元人気道化師だったが、そこで客を驚かす役をしている黒人青年とコンビを組むことを思いつく。その滑稽なコントのような芸は瞬く間に人気を博し、スカウトされパリに舞台を移し、まさに一世を風靡するまでになる。しかしながら当時のフランスでは、まだ黒人を格下に見るばかりでなく、差別や偏見も強かった。面白い動きをする黒人が、白人道化師に蹴られるコントに人気が出ていたのだ。そうしたことを演じざるを得ない立場に心の葛藤を抱きながら、また、黒人同胞がいまだに差別のたえない苦難の中に生きて行かざるを得ない状況を見ながら、コントでは無く演劇として主役を演じることを目指すことになるのだが。
 なんと実話をもとにしているという。エンドクレジットの前の劇中に撮影されたとされる当時のフィルムも流れる。フランスでも一時忘れられていたらしいが、黒人芸人としてのパイオニアとして活躍した実在の人物らしい。
 もともと女好きでだらしないところがあり、練習も熱心で無い。インスピレーションで動いて笑わせるタイプの芸であるらしく、その姿や動きそのものが可笑しいというドタバタコントである。さらに大金を稼いでもすぐに浪費し、酒におぼれ大金をギャンブルですってしまう。何をやっても破滅するタイプの男だが、いわゆるプレッシャーがあり野心や自信への揺らぎがそうさせているものと見える。何しろその時代の黒人の人気者なのだ。
 非常によくできた映画で、これもそうとうお勧めしていい作品である。差別の中で生きて行く黒人の苦悩を見事に描き、アメリカのように必ずしも凶暴に世間と戦うという事でなく、しかしそれでも戦おうとする姿を見事に描いている。正義だけでなく自分のエゴであっても素直に描いているところが、何より大人の映画と言える。
 上手く行っている途上にあっては、それでも我慢したり目をつぶって済ませられたことが、本当に自信のようなものを手にしていくにつれ、どうしてもわだかまりとして自分の心を占めていくことから逃れられなくなる。間違っているのは圧倒的に外の世界で、(その恩恵を受けている部分はあるにせよ)自分自身の考えている正当なものを、表面に出していきたい欲求を抑えられなくなるのである。
 現代人なら何も悩まなくていい領域で、悩まなくてはならなかった時代の個人が居たのである。それは死と隣り合わせの恐ろしいことだったかもしれない。望みは理解者たち。分かってもらえさえすれば、大きな栄誉がある世界なのだ。それは個人の問題のみならず、恐らく黒人すべてにとって、素晴らしい未来に違いない。芸人として絶頂にいるときに自分がやるべき本来の姿とは何か。その夢を、見事に残酷に描いた作品ではなかろうか。
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