病の皇帝「がん」に挑む/シッダールタ・ムカジー著(早川書房)
副題「人類4000年の苦闘」。翻訳、田中文。上下巻本。威圧感さえある本だが、読みごたえ十分の上、これが何かサスペンスものの小説を読んでいるかのような錯覚を起こすことになるだろう。要するに面白いのである。面白く読んで歴史が分かる。それも凄まじい人間と癌との闘い。最初は当然癌という概念さえない手探り状態だった。だがその時代の医療でも、麻酔も無いのに摘出施術を施すなどと言う荒業を既にやっている。要するにその先には死をもたらすものであることが分かっているからこそ、ガンを取るということを施した先人がいる訳だ。様々な癌があるにせよ、がんの特徴としては、最初はごく局所に現れる。早期発見が重要だとされるのはその所為で、その最初の兆しが見つかったら、とにかく摘出してしまう。まだ痕跡の見られないところまで広く深く取り除く。そうしてガンというのは、普通の細胞より早く分裂して、ものすごいスピードで増えるものである。だからその成長を止めるような薬を入れる。癌細胞は特にたくさん栄養を必要としている。だから急速に成長できなければ死んでしまうのである。ただ厄介なのは、他の細胞だって増えたり死んだりして入れ替わらなくてはならない。癌細胞をやっつけるために、正常な細胞も傷つけなければならなくなる訳だ(それを副作用という)。
基本的な方法はそういうことになるが、何しろガンというのは種類が多すぎる。さらにガンの異常性というのは、その他の正常な細胞がもっている本来の機能を使って、その異常さを伸ばす性質がある。ガンを破壊しようとする試みが、人間の正常な細胞を破壊する治療を避けられなくしている。副作用という言葉もあるが、薬というのは何らかの主作用と人間が勝手に思っているものだけで、終わるものでは無いということだ。ものによっては、副の作用があるからこそ、主作用が重要になる場合もある。さらに個体の個人差によって、なぜだか効いたり効かなかったりする。今まで効果があったのに、耐性を持ってしまう人だっている。何度も何度も挑戦してはその戦いに敗れ、何人もの屍の上に道が続いていく。もちろん中には非常に上手くいって生存が何十年と続いた人もいる。何が人生を変えているのか、どういう選択が自分に可能なのか。しかしそのことが分かるかどうかは、実に難しい。ガンが何を選択して、どのような作用を決めているのかは、実に恐ろしく多様なのだ。
敵は大変に狡猾な存在だが、しかしあまりにもそれは人と共にありすぎる存在であるせいかもしれない。人間はとことん戦いを挑んでいるが、相手は消えてなくなりそうになりながらも、何故かいつも寄り添うようにして、そして突然再び猛威をふるいだすのだ。
実はこの物語というか、戦いの歴史としては未完である。しかしその癌の研究の最前線は、当然ながらものすごく進んできてはいる。もともとの道が長すぎるのだ。いや、実のところ、本当にこの道に終わりがあるのかさえ分からない訳だが…。そのような癌の歴史を知ることは重要か? これはもちろん癌に携わる医者だけが知っておればいいという物語では無い。現役の研究者がこのような作品を書き残す。そのような人間がいる限り、将来というものが開けるに違いないのである。恐ろしい病気の記録だが、しかしそれこそが人間の歴史となっている。だからこそ、あえて凄まじく面白いと、いうことになるのかもしれない。