カワセミ側溝から(旧続・中岳龍頭望)

好きな言葉は「のこのこ」。好きなラジオ中継「相撲」。ちょっと苦手「煮た南瓜」。影響受けやすいけど、すぐ忘れます。

僕は自分に嘘をつく:ダイエット経過報告

2017-05-01 | HORROR

 ダイエットを習慣的にしていて空しくなるのは、当然ながらその効果があまり表れなくなる日常だ。毎日寝る前と起きてすぐに体重計に乗って、その数値を記録し、職場の机の脚元に貼っている表に折れ線グラフを書き加える。このグラフが下降傾向になると励みになって、楽しい気分になるのだが、もちろんそうなるとばかりは限らない。いや、それどころか、むしろグラフは上向きに行きたがってしょうがないような動きを見せる。むむ、やばいと思って昼を抜いたりする(ここで三食必ず食べよ、なんて突っ込まないでください。分かってるんです、そんなことは)。辛うじてグラフはなんとなく平衡を保っているように見える。もちろん三カ月くらい前の目標とは、大きく違う現実ではあるが。
 食べたら太る、というか、要するに腹八分目くらいで食べるのをやめると、理論上というか、実際にも確かに痩せられる。体験したこともあるし、事実であるのは間違いない。だからそのような生活を心がけているのに、しかし事実が違うような気がする。なんだかおかしいじゃないか。多少つらい思いもして、日々精進しているのに、結果が伴わないじゃないか。
 でも、本当の事実はやはり違う。自分の感覚として事実を曲げた印象を持ってしまっているだけなのだ。手帳に正直に食べたものをメモしていると、居酒屋をハシゴした上に、〆にラーメンやうどんを食べている。昼に差し入れられた肉まんを食べている(それも複数個)。食べてないなんて思っているけど、事実は食べている。それを記録した自分自身がいるのに、その事実が記憶に残っていないのだ。せんべいも食べているしチョコレートも食べている。飴もなめているしアイスクリームだって食べている。僕は甘いものは得意じゃないし好きでもない。でも甘いものだって分け隔てなく食べてるじゃないか! それも結構おいしかったな、なんて正直に思っていたと思い出せる。いったいどういうことだろう。
 精神論でどうにかなる問題では無い。飽食の時代は飢えることが困難だ。だからできるだけ仕組みをどうにかしようともがいている。しかし人は社会的な生き物だ。孤独に生きていて楽しめない性質の生き物が、楽しさを犠牲にして細くなるのは至難の技だ。
 また、食べ物に関しては、人は容易に自分に嘘をつける。言い訳もできる。いつも食べている訳では無いから、食べていない時は近い過去も食べてないと平気で言うことができる。そういうことができる代わりに、体重自体は正直であり続ける。当たり前の事実ほど、残酷なことは無い。
 人は何のために生きているのだという人がいる。何のために生きているのか、いつも自分に問うている人なんて信じられない。もちろん個人差はあろうけれど、今のままでいいと思っていないからこそ、今を何とかして将来につなげたい。将来や未来があるということが、それを信じている現在があるということが、ダイエットをしようという考えを生んでいる。要するにそれは、何のためというより、自分が生きている証なのだ。
 ということで、まだまだ頑張ります。
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