カワセミ側溝から(旧続・中岳龍頭望)

好きな言葉は「のこのこ」。好きなラジオ中継「相撲」。ちょっと苦手「煮た南瓜」。影響受けやすいけど、すぐ忘れます。

僕も泣いているんだよ

2014-01-25 | 感涙記

 僕は普段はテレビは批判ばかりしている。じゃあなんで見るの? 問題はあるが、テレビは見るものなのである。で、やはり録画して見る。
 その録画する番組の9割9分はNHKなのである。報道は最悪の偏った思想が癪に障る放送局だが、いいものは、というより見たいものは、これに集中しているためだ。
 で、コウケンテツを見る。よく泣く人だよ。でもそれで、もらい泣き。よく分かるんだよね。今は以前のアジアの旅の焼き増しだけど、コウテンケツは素晴らしい。いや、現地の料理が素晴らしいのだが、コウケンテツの涙で、その素晴らしい味が分かるのだ。本当は日本人の口に合うようなものではあるまい。でも、この味は、涙が出るような人でないとわからない味なのだ。本当に素晴らしい旅とは何なのか。そういうことを考えながら見ている自分がいるのである。
 ほかに欠かさず見ているのは数多いが、「デザインあ」も素晴らしい。
 僕は見ていて時々やはり泣きたくなる。それで思い出すのはコウケンテツ。通じるものがあると思う。それが何かは良くわからない。でも、その視点の多くは似ているものがあると思う。こういう番組を、いわば面白がって作っている現場がある。そういうこと自体が、いいなあ、と思う。そして泣きたくなるのかもしれない。
 それは、やはり本当には王道ではないかもしれない。でも、ちゃんと同じようにいいと思っている人が多いからこそ成り立つ世界ではないだろうか。そういうものを信用できるから、何とか僕もバランスをとって、生きていこうかな、という勇気がわく。大げさだけど、そんなような感じが僕のテレビの時間ということなのかもしれない。
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普通に悪いのはコロンボだろう   刑事コロンボ・二つの顔

2014-01-25 | コロンボ

刑事コロンボ・二つの顔/ロバート・バトラー監督

 いつものように犯人は最初から分かっているように見える。そこのところをうまく利用したいつもとは違う味の作品である。
 コロンボが捜査の段階で犯人に嫌われるのはいつものことなのだが、今回は犯人以外からも激しく嫌われることになる。それはギャグだったり伏線だったりするのだが、嫌われて当然のデリカシーの無さ。さらに言い訳もするが、今の時代だったら到底その理由にも納得ができないものだ。当時はむしろおおらかであるということが垣間見えるわけで、現代社会だとコロンボは捜査をすること自体がかなり困難そうに思える。葉巻も他人の家の植木に投げ捨てたりするし、普通にだらしないチンピラのようなものなのかもしれない。僕らは昔からのファンだから、そういうところも愛らしく見えるわけだが、コロンボが生きにくい社会になっていることを改めて感じずにはいられないわけだ。
 被害者のフィアンセにしてもコロンボのことを嫌う。こういうのはなんとなく珍しい気もする。コロンボはむしろ、彼女の味方のはずなのに…。そうして途中では不必要にさえ見える退場もしてしまう。これで犯人が捕まらないわけにはいかなくなるわけで(いや、最初からそうでなくては困るが、倫理上これは行き過ぎた状態だろう)、なんだかちょっとかわいそう過ぎる気もするのだった。また、捜査の段階で殺した後にうまく逃げ切ったというだけの説明だけれど、そういうリスクがさらりと済みすぎる当時の警察力にも疑問が残るものだった。
 コロンボのテレビ出演であがってしまう場面もあるし、犯人の二役の映し方のうまさもあるし、なかなか見所も無いではない。弁護士の狡猾な悪さも面白いし、結果的に家政婦と和解するだろう結末もいいだろう。しかし、そういうものを含めても、なんとなく、まあそんなもんかなという鑑賞時間を過ごした感じになってしまった。コロンボ作品は過去にほとんど見ている(一番新しいシリーズ以外)はずなのに、まったく覚えている要素が無かったのも、なんとなく納得できる作品という感じがしたのだった。
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