カフェでよくかかっているJ-POPのボサノヴァカバーを歌う女の一生/渋谷直角著(扶桑社)
正月早々から読んで良かったのか、かなり疑問の漫画だった。まあ、僕の世代の人間が読んで内容が分かるのかという問題もあるが、時代は違っていても分かることはたくさんあった。そうしてそうだからこそ、本当に愕然とする悲しさが伝わってきた。僕は明らかに途中で見切りをつけて抜けた組というか、あんがい若い頃からこういう感じと一線を引いていたということもあるが、たぶんそれは自信が無かったからだと思う。幸い上手く馴染めなかったから、そうそうに見切りをつけたようなところがある。そうしてやはり仕事もある。仕事をやりだすと、自然とその流れに巻き込まれてしまう。本当の自分やら、分かってくれないまわりとやらに腹を立てたり空回りしたこともあったさ、というようなこともやはり記憶にあるし、しかしどうにも余裕が無くて、過ぎ去ってしまったという感じが強い。さらに田舎暮らしだから最初からチャンスもない。言い訳で言っているということもあるが、そういうものを越えてまで何かをやるほどには余力も残っていなかったということなんだろう。
でもまあ、この漫画の主人公たちの痛いがむしゃらさは、悲しいがやはりドラマだと思う。一線を引いてみると馬鹿にしているようなところもあるかもしれないが、しかしまぎれもなくその痛いところこそ本当に青春なのではないか。ドロドロしたところがあっても、諦めきれず何とかしてやろうという気持ちに偽りなどないだろう。そういうものを体験せずに成功する人もあるだろうが、しかしやはりこれがあったからこそ本当に辛抱強く挑戦した一部の人間に、日が当たるだけのことだろう。保障が無いまま頑張るというのは、そういう暗黒であって普通なのではないか。限りなく痛くてどうにも情けなくて、しかしすれすれのところを飛んでいるということもあって、悲しすぎて笑えない。笑えないけど、本当にぜんぶ共感できないけど、しかしやっぱり偉かった、とは言えるのではないか。愚かだからこそ尊い人間の姿。そうして若いから壮絶に傷つく事に、素直に何かいたわりの気持ちが湧いてくるのだと思う。若い時にこれを読んでさらに臆病になったとしても、それでもあきらめきれない自分があるのなら、その痛みに飛び込んでみても、それはそれで仕方のないことなんじゃないだろうか。ちょっと無責任すぎるかもしれないけど、そういうもんだから諦めろ、という気分にはとてもなれない。
カタルシスは無いけど、そういう意味では応援歌で、そうしてある意味リトマス紙にもなりうる漫画ではなかろうか。これを笑い飛ばせるパワーがあれば、人生何とかなりそうだ。ちょっと強烈に痛い話ばかりだけれど、やはり年初に読んで収穫であったと、言いきってしまおうではないか。