落合監督の退任の会見で「普通の初老の男性に戻った」という見出しを見た。実際は57歳だそうで、ちょっと戻り過ぎである。でもそのように突っ込んでも、今となっては気付く人の方が少ないのかもしれない。
しかしながら、初老の男性というと、おじいさんになりかかりというくらいの意味で使う人は、確かに一般的になりつつあるのだろう。高島俊男が向田邦子の文章を拾って初老の使い方の誤りを正していたことがあったから、それもそれなりに以前から間違われ続けているのだろう。しかしながら初老はやはり40歳の事だから、事は面倒なのである。
「普通の還暦前の男」というか、「普通の老人」でも良かったのだろうけど、なんとなく抵抗があったのだろうか。「老いかけた男」とか、「くたびれた男」とかでもよさそうだけど、ニュアンスとしてのぴったり感はやはり難しいものがありそうだ。現代の老人時代は長く、その時期を区切る必要が感じられるのかもしれない。
初老という言葉には、確かに40歳より60前後の方が適当というニュアンスが強いのかもしれない。昔の人と現代の人では寿命が違うのだから改めるべきだ、という意見もあるだろう。
「弱冠」だって二十歳という意味なのに、その周辺の年齢というニュアンスで使われていることが多い。まだ若いのにエライ、というニュアンスと、弱冠という漢語的なもったいぶった言い回しに権威を借りているのだろう。
そういう言葉の変化という捉え方をすると、40歳のつもりで初老と言ってしまうと、むしろ違和感を覚えたり、間違っているという印象を受ける人の方が多いのだろう。
今は何かと若さがもてはやされて、普通に年を取るのも難しくなっているのかもしれない。若いという価値を買いかぶり過ぎるのと、年を取るということの尊厳が失われているというのは、残念ながら確からしい。もちろんそういう背景があるからこそ、単語の意味は変化せざるを得なくなっているのかもしれない。