カワセミ側溝から(旧続・中岳龍頭望)

好きな言葉は「のこのこ」。好きなラジオ中継「相撲」。ちょっと苦手「煮た南瓜」。影響受けやすいけど、すぐ忘れます。

煙突の見える場所

2011-11-06 | 映画
煙突の見える場所/五所平之助監督

 昔は大村にもお化け煙突があったのにな、と思った。すんません、ローカルで。
 煙突というのはそういう失われた日本の風景であることは間違いあるまい。いつの間にか日本の風景はすっかり変わってしまった。多くの場合それはいいことの方が多いのだけれど、年を取るとそう思わない人がいるらしいことも確かだ。まあ、個人的に若い頃が面白可笑しかったというのは分からんでは無いですがね。
 お話の方は戦後の庶民生活の、なんとなくいい加減だったり、大変だったりする風景がふんだんにあって、そうして二枚目俳優の上原謙が二枚目半を演じていて、コメディということになっているようだ。確かにいろいろと思うところあって面白いのだが、やはりそれは戦後の貧しい切実さが感じられる方が、さらに楽しめる仕組みになっているようだ。
 戦後生まれの僕にしても、共感としては理解できるものはあっても、もう少し自分たち以外で考えるなどしないのかな、などと無理な想像をついつい挟んでしまうのであった。そういうものとは独立して暮さなければならないという考えが、どうにも上手く飲み込めないのだろう。
 僕は個人的に、貧しいからむしろ慈悲の心が育つという考え方には疑いを持っているのだけど、そうではあっても、貧しくあっても慈悲の心がよりどころになるような心もちが育つというようなことはあるのかもしれない、とは思うのである。まさにこの映画の展開がそれで、最初はただ困ったり、そのことが原因で不条理な事を言ってみたりしているけれど、最終的には赤ん坊の事が可愛くなっていくくだりなどは、なるほどそうかもなあ、と思うのだ。むしろ現代であれば最後まで拒んでしまう方が現実的だろうけど、いや、当時であってもやはり難しい問題には変わりは無いけど、困りながらもこれからどうなるかも分からないまま、なんとかなるような楽観のような気持ちも同時に持ち合わせていたことも確かなのではなかろうか。
 そういう訳で、やはり人間ドラマとして鋭いものがあるというか、むしろ精神的には豊かなものを描こうとしているというか、しみじみと説教くさくなく共感をもって希望を語るような映画になっている。その後の世界がどうなったかは、僕らは知っているわけだけれど、以前の人たちが望んだ世界だったのかどうかは、ちょっとだけ気になるところでありましょう。皆さん、ご年配の人に尋ねて見て下さいませ。
コメント
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