カワセミ側溝から(旧続・中岳龍頭望)

好きな言葉は「のこのこ」。好きなラジオ中継「相撲」。ちょっと苦手「煮た南瓜」。影響受けやすいけど、すぐ忘れます。

連動して思うこと

2011-11-27 | net & 社会

 Twitterのつぶやきと facebookとさらにブログまで連携させたということで、使い分けていた垣根が事実上なくなってしまった。それでどうということも特にないのだが、一番大きいような気がするのはやはりFBの存在かもしれない。連動しているお友達はほぼ匿名とは考えづらいし、実際にお会いした人達ばかりだ。そういう中に匿名性の高いブログとtwitterがドカドカ入ってきたという感じかもしれない。まあ、方向から言うと逆からの道筋をたどるということなんだろうけど、一方的な自分自身の開示である。
 正直言って「食事なう」みたいなつぶやきは、最近は既にしなくなっていたのだが、FBを気にして長文化(とはいえ140字なんだけど)している傾向はあるような気がする。つぶやきとしては情報過多な方かもしれない。顔の見えるお友達という背景は、発言を変える力があるようだ。これは意識的で無かったものの後で気付かされたことで、我ながら自分の自意識というものを再考させられる出来事だった。結局一日一回程度しかつぶやかなくて、そうしてまったくつぶやかない日もあるようだ。タイムラインもすっかり追わなくなってしまった。僕のような人が増えているのかどうか、連動している人達の動きを見ていても活動的で無い人も増えているような気がなんとなくする。結構威力はあるんじゃなかろうか。
 また、ほぼ日々の備忘録であるブログの方は、これは最近ちょっとやり方をもともと変えて久しいということはあった。日記風雑記はほとんど書かなくなっており、映画評などのメモに肉付けしたものを書きためて公開予約している。今年は8月末位から出張が続いて、記事を書く時間がどんどん難しくなってしまった。更新しないというのもボツボツ出てしまって、毎日日課を課していた訳ではないのだけれど、逆に吹っ切れてしまった。更新しないのならそれでも良かったのだけど、そうであるなら毎日のタイムリーさをあえて無くしてしまってもかまわないとも思ったわけだ。完全にタイムリーじゃない訳ではないけれど、観たけどあげて無い映画や本というのはそれなりに溜まっていて、書こうと思えばいつでも書けてしまう。この際少し片付けましょうという感じもして、却ってスラスラ書きためてしまった。機械的に記事は毎日あげられるけれど、僕個人はまったく書かない日も却って増えた。そういうものもメリハリとしてはいいのかもしれない。
 特に過去のブログによくあったことだが、体験した生の物事について、その気分や高揚感が残ったままそのことについて書くと、ついつい感情的なものを余分に書き足してしまう。もともと饒舌な人間がさらに過剰になったり、また怒りの感情のようなものも素直に書いてしまってバランスを欠いてしまうことはあったようだ。その上に匿名だし、書いてしまって自己嫌悪というようなカタルシスの無いものを生み出してしまうことはあったようだ。そういうものも時には必要な場合もあろうが、まあ、それはリアルな方で解決するしか仕方ない面も多い。結局そういう連動は本当には上手くいかない問題なのかもしれない。
 そういうことを考えながらもう少しこのペースでやってみて、また変えることもあるかもしれないが、やりながら考えてみたいと思う。閲覧においてはタイムリーさがやはり面白いとも感じるので、そういうものも時を見て復活させるかもしれない。やっぱりブログ記事は反応の返りが悪いので、地道に一方方向なのかもしれないですね。
コメント
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