カワセミ側溝から(旧続・中岳龍頭望)

好きな言葉は「のこのこ」。好きなラジオ中継「相撲」。ちょっと苦手「煮た南瓜」。影響受けやすいけど、すぐ忘れます。

こだわりの逸品を探す

2007-03-31 | 雑記
 大村JCの内報誌では、「こだわりの逸品」という企画ものがある。そこでなんか僕のものを出せという要望があったことを忘れていた。僕はK又君のように多趣味でないし、物持ちが良くない。僕の性格として執着心が薄く物事にこだわらないというのが特徴だと自分では思っていたのだが、まあ、それには異論のある人もいるかも分からない。
 記事を担当するというT竹君は「本以外で」とあえて条件をつけてくる。僕から本以外ということになると何にも無くなるではないかと思うのだが、趣旨として僕がもってそうだということは分かりきっているので意外性が無いということらしい。「この人がこんなものを持っている」というようなものを取材したいということなのだろう。しかしながら繰り返すが、僕はたとえ趣味だとしても、何かモノに執着するということは多分無い。どこのブランドだからいいとか言うのも分からないではないが、そうでなくともいいものはいいのであって、人間がものを選ぶより、ものにあわせて行動したほうが合理的だという気がするだけである。
 しかしながら工具などでは、道具を選ぶということは大切だとも思いはする。「弘法筆を選ばず」というが、その道の達人ほど道具を選ぶことには熱心であるはずである。仕事や作業の精度をできるだけ上げたいと思うなら、道具を選ぶほうが合理的である。ほんのわずかな使いよさなどの違いでも、達人に分かる領域はそれだけ深いものだという気はする。達人に限らずとも実際に筆を変えて書いてみると、ずいぶん違いがあることが分かるはずである。値段が高いからいいということでは必ずしも無いが、ある程度高価なほうが信用が高いということは比較のうえではいえることではあるだろう。またそうでなくては高いという価値が泣くのではないか。泣かなくとも、その無念さは物事の成長の妨げになりそうである。
 さて、そうは思うが、僕は職人芸は持たない。手先はやたらに不器用である。手が武器用なのは頭が悪いせいだと思う。手を動かすよう命令を出す機能が弱いのであろう。日曜大工もやらないし、子供の頃からプラモデルさえ完成させたことが無い。時計の針の動きを見ているだけでイライラしてくる。少女雑誌のリボンの付録でアップリケがあったので家のカーテンに貼り付けて怒られたことがあるぐらいで、何かを作ったり工夫して工作したりする事はほとんどしない。無益な人生を送っているのである。
 さてそういう僕が苦肉の策として選び出した逸品とは…。
 JC関係者の方は4月10日の例会をお楽しみにしてください。それ以外の方はメールを下されば、原稿をお送りします。もっとも、いつものように文章が長くなったので、没になる可能性はある。K谷委員長がどのような判断をされるのか、そこまでは僕に権限は無いのである。
コメント
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