カワセミ側溝から(旧続・中岳龍頭望)

好きな言葉は「のこのこ」。好きなラジオ中継「相撲」。ちょっと苦手「煮た南瓜」。影響受けやすいけど、すぐ忘れます。

正確か不正確か

2007-03-08 | 雑記

 なんだか久しぶりという感じでメルマガの「月刊正明4月号」を発刊。
 既に72号ということで、ちょうど6年になるんだと後で気づく。自分で言うのもなんだが、えらいものである。いろんなやり方はシフトして内容もずいぶん変わってしまったけれど、こうして変わらず発刊できるというのは嬉しいことである。時々印刷して読んでいるという人もいると聞くので、謝礼を払いたいくらいである(請求されると困るけど)。
 ほとんどブログネタを再掲するだけであるが、ツラツラ見直す作業にはなる。ワードでは重たいのでWEBページにするのだが、改行が変わるだけでなく、なんとなく読んだ感じまで変わるような気もする。誤字も新たに発見したりする。微妙だか見方が変わるということだろうか。
 若い頃は本を読んでいてもあまり誤字には気づかなかったが、最近はそういうものが特に目につくように感じられる。活字社会も効率化とスピード化の影響があるのではないか。または、ほとんどの文章はワープロで書かれるようになってしまった所為なのかもしれない。勝手に変な文字に変換されても気づかないことがあるのだろう。もちろん複数の人の目を通してはいるのだろうけれど、そういう視線を乗り越えて誤字として残るというのだから、ある意味ではえらいものである。
 大手から出版されている本であっても、けっこう誤字やら脱字のようなものがあるようだ。そういうのを見つけるのはなんだか嬉しいけれど、困ったことでもありそうだ。参考文献など紹介されている著者の名前が間違っていたり、ということもけっこう見つける。年代やルビなども間違いが多い。著者が間違っているのか、編集者が間違えたのか、どうなのか分からない。こうなると版を重ねないことには、なかなか修正も難しかろう。
 森博嗣のブログで、印刷のものよりネット上のものの方が、誤字だけでなく、推敲作業などやりやすく都合がよいということを書いていたようだ。文章というのは印刷されると完成品という感じなのだろうけれど、進化系という新たな形態が誕生したということなのかもしれない。確かに僕も時々過去の記事などを推敲しなおすこともあるようだ。指摘されたりなどして不正確だったものを修正することもある。そうすると、過去の文章で得た間違いのままの認識で情報を確定してしまう人がずいぶんあるのだろうな、などと考えてしまう。ネット上というのは、確かにほとんど何もかも不確実である。
 しかし、活字であってもそういうことはたぶん今までもあったはずであり、逆にいつも修正可能ということのほうが、より正確にできるということでもあろう。個人が書いているようでありながら、一種の共同作業でもあるというのがなにより面白い現象である。そういう利点は、ネット上のほうがはるかに高いものがありそうである。
コメント
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