小谷野敦の「軟弱者の言い分」新装版文庫(あとがきで更に大爆笑したが、他ももちろん面白い)を読んでいると、クリスティーの「アクロイド殺人事件」には怒ってしまったが、筒井康隆の「ロートレック荘事件」は傑作だと書いてあった。まあそれで読んでみたのだが(アクロイドは読んだことがある。なので今回はロートレックを、という意味)、小谷野の言う意味も途中で分かった。本当に解けたわけではないが、なんとなく分かった。むしろ後でいろいろ考えることがあって、ああ、最後にやられたと思った。まあ、それはいい。それで佐野洋(新潮文庫)の解説を読んで、うーん、と更に考えさせられる。分からないではないが、これは筒井のほうが僕の共感が深い。
僕は身体障害関係の仕事をしているが、職場にはいろんな人が見学に来る。感想を聞くと、自分は五体満足で幸せだと思ったとか、ハンデを背負った人が自分より頑張っているのに感動したという人が多い。感想なんだから、それはそれでいいのだろう。しかし、正直に言うと、僕はそういう感覚はちょっと複雑な感慨を受ける。障害を背負った人は、他の人のために障害を負ったのだろうか。庇護をもらうことが幸せなのだろうか。
もちろん、現実問題として、皮肉を言うことが僕の本心ではない。それでも多くの人に率直に現実を見てもらったほうがいいと思う。
不幸な現実は、僕らが五体満足だから比較としてあるのだろうか。しかし同時に確かに切実だ。人を殺すのは(この場合小説の話なのだが)許されることではないが、偏見を前に殺してしまうという理解も必要なんじゃないかと、乱暴ながら僕は思う。しかし死んでしまうと取り返しはつかない。その前に何とかしなければ。それも、ある意味で僕の役割なのかもしれないと思ったりするのである。
僕はハンデを負った人を目の前にして幸せを感じない社会を目的に仕事をしようと思っている。
やっぱり皮肉っぽいな。もう寝よう。
僕は身体障害関係の仕事をしているが、職場にはいろんな人が見学に来る。感想を聞くと、自分は五体満足で幸せだと思ったとか、ハンデを背負った人が自分より頑張っているのに感動したという人が多い。感想なんだから、それはそれでいいのだろう。しかし、正直に言うと、僕はそういう感覚はちょっと複雑な感慨を受ける。障害を背負った人は、他の人のために障害を負ったのだろうか。庇護をもらうことが幸せなのだろうか。
もちろん、現実問題として、皮肉を言うことが僕の本心ではない。それでも多くの人に率直に現実を見てもらったほうがいいと思う。
不幸な現実は、僕らが五体満足だから比較としてあるのだろうか。しかし同時に確かに切実だ。人を殺すのは(この場合小説の話なのだが)許されることではないが、偏見を前に殺してしまうという理解も必要なんじゃないかと、乱暴ながら僕は思う。しかし死んでしまうと取り返しはつかない。その前に何とかしなければ。それも、ある意味で僕の役割なのかもしれないと思ったりするのである。
僕はハンデを負った人を目の前にして幸せを感じない社会を目的に仕事をしようと思っている。
やっぱり皮肉っぽいな。もう寝よう。