カワセミ側溝から(旧続・中岳龍頭望)

好きな言葉は「のこのこ」。好きなラジオ中継「相撲」。ちょっと苦手「煮た南瓜」。影響受けやすいけど、すぐ忘れます。

自虐の詩/業田良家著

2007-01-06 | 読書
確かに号泣の名作
自虐の詩/業田良家著(竹書房)0701
 四コマ漫画なので一話一話一応は完結している。しかしながら同時にいろんな複線が張ってあり、後のほうでその複線がじわじわボディブローのように効いてくる。つまりいくつものストーリーが複雑に絡み合って展開していく。
 上下巻に分かれているが、一気に読まねばならない。特に途中で上巻の解説というか、女性作家のインタビュー風レビュー(これはこれで面白いが)があるが、そういうものは最後に読むべきであろう。感動のタネは自分の中にしまっておいて、ストーリーを追っていけばいい。僕は感動の漫画だと聞いていたにもかかわらず、信用はしていなかった。そうではあったけれど、最後の方では自分の涙で文字を追うことさえ困難になった。ほとんど号泣状態になり、人生の哲学をひとつ習得した。いや、これは人類が到達した幸福の思想である。そういうものを漫画を読んで達観する。業田良家は天才かもしれない。
 実は購入後しばらく放置していた。最初のさわりは少し読んで、別の本に気移りしたのだろうと思う。僕は漫画を読むのは苦手で、活字を読むより時間がかかるので、まとまった時間が無いと漫画を読む気になれない。ちょっと空いた時間にチョコチョコ読んでも、漫画だと分からなくなってしまう。まあ、四コマなんだから、と思って再度手にとって、なんだか古臭い話だなあ、と思いながら読みすすんでいた。帯をふと見ると、感動するようなことも書いてある。まあ、名作と名高いから買ったのだろうが、僕が判断した話ではない。人が感動することに僕が感動するとは限らない。裏切られることもあるには違いない。話は確かに自虐的だし、男の僕には理解しづらい話が続く。たとえ女であっても、恐らく本当に幸江のことを理解できる人がどれだけあるのかは疑問だ。こうまでして人に付き合うお人よしは、つまるところ馬鹿ではないか。
 いや待て、たぶんこの展開なら、結末はこう来るのではないか。僕は勝手に結末を予想し出した。これだけしつこく自虐ネタが続くのなら、ラストはこの自虐の開放にあるに違いない。だとするとこの蓄積された恨みのカタルシスか、相手の深い愛情の発露があるはずだ。浅はかな僕はそう考えた。そういうふうになるはずだと勝手に決めて、そして僕の予想を確かめるためにさらに読み進んでいくのであった。
 下巻の半分過ぎ頃だろうか。少し様子の違う物語が挿入される。まったく共感がなかったのだけれど、まったく僕とは違った体験談なのだけれど、なんとなく分かるような気がする。いや、そういうふうに考える気持ちもなんとなくどころか大変によく分かるのである。こういう出来事は多かれ少なかれ身近にあったことのように思える。最近は貧乏というのはテレビの世界でしか見られなくなったけれど、確かに貧乏という恐怖は子供のころには持っていたようにも思える。たとえそれが本当に貧乏だったわけでなくとも、ひもじいような切ないような感じは、切実に感じ取っていたのではないだろうか。ここで共感できたことが、僕の感情の複線と連動したような気がする。もちろん、今になって考えてみるとではあるが…。
 もちろん人の感情は僕にはコントロールできない。まったく納得できない人がいてもOKだ。これは僕が感動したという告白だ。僕は読み終わってすぐに、またページを戻して別のところで泣くのであった。僕は文部科学省の回し者ではないけれど、生きる力がみなぎるのを感じた。また、明日からもがんばろう。素直にそういう気持ちを信じる僕自身が誕生していた。多少大げさになってしまったが、そういう気分にさせられる名作だったのである。
コメント (1)
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