カワセミ側溝から

好きな言葉は「のこのこ」。好きなラジオ中継「相撲」。ちょっと苦手「煮た南瓜」。影響受けやすいけど、すぐ忘れます。

給食費未納問題

2007-01-25 | 時事
 給食費未納問題というのがある。報道されているので周知と思うが確認すると(2005年度のデータ)全国で約9万人、小中学生の児童生徒約1パーセント。それだけ聞くと少ないようだが、金額にすると22億3千万円。さらに問題なのはその内容で、「経済的な問題」と見られているのは33パーセントに過ぎず、60パーセントは「保護者の責任感や規範意識の問題」と考えられているところである。平たく言うと「ひどい親もいるもんだ」問題である。しかし平たく言ってみるとなんとなく分かるのだが、これは密かにちょっとだけ怪しい気もするのである。最近の風潮は「ひどい教師もいるもんだ」という話が多い気がする。学校の逆襲ではないか。いまさらながらに調査したのはもちろん文部科学省。「教師だけがひどいんじゃないんだもん。親だってひどいんだもん」問題にしたい誰かがいそうだ。もちろん報道はこういう話が大好きだ。またいじめが始まるゾ。
 そうではあるが「ひどい親」の話ももう少し進める。
 この問題は実は古くて、時効でやり過ごした親も多い(未納の時効は2年らしい)。単年度での未納額であるから累積があると思われる。その影響はちゃんとあって、現実に食材費を抑えて対応されている。献立はエビフライだったけれどイカリングになっていたりだとか、おかずの量が少なくなったりだとか。もちろん給食費を支払っている人の原資において配分するのでそうならざるをえない。学校長が費用を自費で肩代わりしたり、別の資金で補填するケースもあるという。
 そうであるなら、これは明確な詐欺行為であると思う。払っていないせいというより、そういう対応をする給食センターや学校にまず問題があると指摘しておきたい。また、資金の目的外流用であるならさらに問題である。校長の自費であるというのも、その行為自体は犯罪ではないけれど、そういうことを強要される立場の人は不正を働きやすい。明らかに不当なことは犯罪の温床なのである。
 僕は教頭先生に払わない家庭の子供になぜ給食を提供し続けるのか聞いたことがあるが、答えは「食べさせないのはかわいそう」だからであるという。あなたにはそれができますか、と言っているようだった。もちろん僕はできるが黙っていた。話にならない。まあ、正直に言うと目の前に一人だけ食べられない子供がいると自分のをやるだろうけど、いつまでも恒久的に続けるのは勘弁して欲しいと思うだろう。つまり問題を何でいつまでも放っておけるのかということのほうが問題だと思うのである。要するに学校は自分の問題だとは、ホンネでは思っていないのではないか。
 あれ、怒っている方向が少し違うじゃないの、と思う人もいるだろうけれど、僕はもちろんそういう親は問題だと思うのだけれど、あえてやはり学校問題という気がするのである。それにそういう人は既に報道が糾弾キャンペーンをやるだろう。僕の役割ではない。
 その根拠は何であるかというと、未納問題のある学校とない学校のあることである。未納問題のある学校は約半数に上るというが、ない学校が半分もあるのに、何で半分は問題を抱え続けるのだろうか。ここが報道で隠されている。問題のないところはなぜ問題がないのか、そこに実際の答えはないものだろうか。
 自治体によっては少子化対策で給食費を免除する(公費負担)ところもあるらしいが、未納問題ではそもそも違う。中学校などでは給食でないところもあるだろうから、そういうことで問題なし、というのもやはり問題違いである。
 未納問題で気になるのは、未納者攻撃の激しさである。催促すると逆に怒鳴り込まれただの、身なりは豪華なものを着ているだの、未納だった生徒が卒業後すぐに新車のバイクを買っただの、等々。それは問題には違いないが、問題を真剣に考えていないまなざしである。そういう人が本当に多数かといえば、やはり怪しい。そういう人が増えていそうな気がしないではないが、そういう意識に付け込んでもいないだろうか。怒鳴り込むような積極的な人は、恐らくまちでは有名人であるはずだ。
 給食によって何とか栄養を保っている子供もいるという。貧困ではない。家ではまともに飯を食わされていないという意味である。まあ、そうかもしれない、とは僕も思う。しかし、なんとなく怪しいという思いも消えない。敵対する教育問題とは何なんだろうなあ、と、悲しくなるだけである。
 子供を見るために親とも協力することは当たり前のことである。勉強を見ることだけが学校の役割ではないと思う。教師は教育のプロである。問題のある親も含めて教育を考えるのは仕事であろう。以前なら貧困問題だけであったものが、多様化したとも捉えられないだろうか。愚痴なら飲み屋で消化したらいいのだ。
 もともと敵対関係ではないものが敵対するのは、信頼関係がないからであろう。不審を転化することは泥沼化の道であるように思えてならない。もちろん親も悪い。いや、むしろ親の方に問題がある場合の方が多いのかもしれない。しかしそれでも未納者を放置している体質こそ、問題の根源が眠っているように思えてならない。
コメント
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