死の終りに冥し

2010-02-13 | 【断想】ETC
 慰めを求めてか、一種の逃避か、空海の次の言葉をよく思う。
  生まれ生まれ生まれ生まれて生の始めに暗く
  死に死に死に死んで死の終りに冥し
 そして、恋多き女、和泉式部の一首。
  冥きより冥き道にぞ入りぬべきはるかに照らせ山の端の月

ま遠くの野にも

2010-02-10 | 【断想】ETC
 万葉集巻十四の東歌のひとつ。
  ま遠くの野にも逢はなむ 心なく里のみ中に逢へる背なかも
 ひとにわずらわされない郊外ででも会いたかったのに。
 あなたったら、気がきかないのね。
 こんなひとの多い街なかで会うなんて。
 こんなような女の気持ちの歌か。
 男たる者、女心を思って、ときとところを選ばなくてはならない。

まを薦の同じ枕を

2010-02-09 | 【断想】ETC
 薦を巻いて、ひとつの枕とした。
 人の噂が繁きといって、どうしてあなたと寝ないでいられようか。
 そんなような気持ちを表現した歌だ。
 万葉集巻十四の東歌のひとつである。
 形而下的と言えば、その通りだが、おおらかなよさは、そのまま受けとめるのがいい。
  人言の繁きによりてまを薦の同じ枕は我はまかじやも

我を誘さねも

2010-02-08 | 【樹木】ETC
 「かづの木」というのは、穀の木と書くようだ。
 ウルシ科のヌルデ(白膠木)のことであるらしい。
 「心にかける」とか言う語感があるとも言われている。それに、「かづきあげて、ひっさらう。強引に誘う」というような意味もあるのかと。
 万葉集巻十四の東歌のひとつに、「かづの木」を入れ込んだ愛の歌がある。
  足柄のわを可鶏山のかづの木の我を誘さねも門さかずとも
 この歌では、「かづの木」は、愛しい人のことを指しているともとれる。
 「誘さね」は、「かづさね」とよむ。
 「門さかずとも」も、「かづさかずとも」とよむ。
 足柄の山の「かづの木」のように、わたしに心を懸けるなら、門が閉じていても、強引に入ってきて、誘い出して愛してくれないものかしら。

とどとして開かむ

2010-02-08 | 【樹木】ETC
 万葉集巻十四の東歌のひとつ。
 真木を入れ込んだ愛の歌。
  奥山の真木の板戸を とどとして わが開かむに 入り来て寝さね
 「寝さね」は「なさね」とよむ。
 奥山の真木の木で造った戸を、わたしが「とどと」開けましたら、どうぞ入ってきて、抱いて下さいな。
 そんなようなことなのかな。
 ともかく、東歌には素直な気持ちをそのままに表現したものがある。

しばしのくつろぎ

2010-02-08 | 【断想】ETC
 そこでは窓の外に、多摩川の流れを見ることが出来る。
 眺められる人家も古い造りである。
 ここのところ週末に訪ねるところがある。
 そこから十五分ほどクルマを走らせると、目当ての場所につく。
 手頃な値段で、それなりの昼ご飯を食べることが出来る。
 時間の都合がついたとき、そこへ行く。
 しばしであるが、くつろげる。
 このあとは、どちらかというと心穏やかならぬ時を過ごすことになる。

世の人の恋に死なむ

2010-02-08 | 【樹木】ETC
 万葉集巻十四の東歌に梅の花が出てこないだろうかとさがしてみたが、見つからなかった。
 杉や真木や葦や藤、藻、萱などは登場するのだが。
 それで、梅でなく柳を入れ込んだ愛の歌をひとつ。
  柳こそ伐れば生えすれ 世の人の恋に死なむをいかにせよとぞ
 柳の木は伐ってもまた生えてくる。
 だけどこの世の生身のわたしは恋に焦がれ死にそうです。
 どうしたらいいものかしら。

さ寝らくは

2010-02-06 | 【断想】ETC
 万葉集の巻十四の東歌からひとつ。
  さ寝らくは 玉の緒ばかり 恋ふらくは 富士の高嶺の 鳴沢のごと
 あなたと寝ていると束の間のように感じられる
 首飾りの紐のように短くてすぐ終わりが来てしまう
 ひとりであなたを恋しく思っていると
 胸が高鳴り落ち着かずたまらない
 まるで富士山を流れ落ちる水の轟き

心の緒ろに

2010-02-05 | 【断想】ETC
 万葉集巻十四の東歌のひとつ。
 ま愛しみ 寝れば言に出さ 寝なへば心の緒ろに乗り愛しも
 とても愛おしくて、一緒に寝ると人の噂になりたいへんだ。かといって、一緒に寝ないでいると、心のなかが愛しさでいっぱいになり苦しいことになる。
 こんなようなことなのかな。

さやけき道を

2010-02-04 | 【断想】ETC
 うつせみは数なき身なり山川のさやけき見つつ道をたづねな
 万葉集巻二十の大伴家持の歌である。
 はかないいのち
 生のうちに
 山川眺めれば
 さやけき
 願わくは
 さやけき道を
 アタラクシアへ

「万葉集探訪」

2010-02-03 | 読書
●万葉集探訪/岡野弘彦著/NHKライブラリー/1998年9月20日発行/1124
 万葉集の全巻をしっかり読んでみたいという気持ちが以前からある。しかしながら、なかなかたいへんそうである。ダイジェスト版を手にしたことがあるが、それすら部分読みであった。
 それで、万葉集の全二十巻を展望できて、解説付きで、読み通せそうなものがないかなと思っていた。原文とその注釈だけだと、やはり途中で投げ出しそうである。
 そう言うことで、適度な厚さで、「これなら大丈夫かな」と手にしたのが、岡野弘彦著の「万葉集探訪」である。
 もうすぐ、一応、読み終えそうである。
 著者は、黙読でなく、声を出して誦するのがいいと言う。その通りだと思う。さっと読んだだけでは、何のことやら分からないものでも、何度もぶつぶつやっていると、なんとなくわかってくるものである。それでも、わからない言葉も多い。そこに、適度な解説があってたすかる。
 原文のこまかな言い回しのなかに、現代にも繋がっている言葉も多い。どちらかというと喋り言葉のなかに、生きているようである。
 解説つきの本書でも、分からないものは分からない。無理に理解しようなどとせず、分かるものを楽しむくらいで付き合うのがいいのかなと思う。そのようにして読み進んだ。
 そのうち、万葉集の全巻を読んでみたいと思う。
 まずは、素朴で色っぽくもある東歌が収められた巻十四あたりから。

美女たちと牡蠣

2010-02-03 | 【樹木】エッセイ
●赤坂見附で
 M氏の参議院選挙当選を祝して、旧来の友で、てっちり鍋を囲んだことがあった。
 その帰り、方向が同じで彼女と二人になった。肩を寄せ合い、赤坂見附駅近くのオイスター・バーに入った。世界各地の生牡蠣を白ワインを飲みながら食べた。口のなかに、牡蠣の臭いや味がしっかり残るくらい食べた。
 牡蠣にまつわるあれこれを話した。「からだにいいよ」と。彼女は病気で瘠せていた。かつて、初めて会った彼女は、学校を出たばかりくらいの頃で、ふっくらしていた。
 悲しかった。
 彼女は、病気で職を辞してからも、古くからの仲間との付き合いを大切にしていた。それで、折に触れ顔をあわすことがあった。
 恋人か愛人どうしのように、ひとときを過ごした。それだけのことだった。もっと言うことやすることがあったような気がして、なんだか悔やまれる。
 昨秋、彼女は逝ってしまった。四十三歳だった。
 彼女と同世代の女性陣が、郷里で行われた葬儀に参列した。
●東京駅近くで
 「牡蠣を食べると、男は精子が増えて、元気になるんだよ」
 東京駅近くのオイスター・バーを出て、連れの美女にそう言った。
 数日後、顔を合わせた折、「なんだか、次の日とても元気だったよ」との報告を受けた。女にも効はあるのか。どういう風に元気だったのかなと、ついいかがわしい思いをめぐらしてしまった。
●新宿で「岩牡蠣祭り」
 新宿で行ったことがあるオイスター・バーは二店。昨夏、その一店の前に「夏の岩牡蠣祭り」というポスターが貼ってあった。
 夏だ。岩牡蠣のシーズンだ。さあ、食べようじゃないかという感じだった。全国の産地から岩牡蠣を取り寄せ、お客に提供していた。
 その日に食べることができる牡蠣のリストがあった。岩手県の広田湾、石川県の七尾湾、京都府の丹後半島、島根県の境港、長崎県の九十九島の産の岩牡蠣を食べた。
 ともかく、一度にこんなにまとめて岩牡蠣を口にしたのは初めてだった。それぞれ、味、身の色合い、殻の形姿にも違いがあって楽しめた。生牡蠣がメインではあるが、ステーキにしたものもよかった。
 岩牡蠣は、冬の牡蠣にくらべてボリュームがあり、うまい。また、夏の岩牡蠣にあたるということはないと言われる。冬牡蠣より、いささか塩分の濃い沖合で育つのである。
 岩牡蠣の養殖はむずかしく、ほとんど天然ものである。よって、漁獲量も少なく、季節も限定される。
 時は過ぎゆく。ぼんやりしていると、食いそびれるのである。
 新宿のもう一店では、タスマニア産の牡蠣を食べた。ユーカリの原生林から流れ出た豊かな水と南極大陸にぶつかった深層の海水が湧き上がって育てた牡蠣である。
 いずれも、連れは美女。
●お薦めの恵比寿
 樹木や森のことに関心を持ち出して、おいしい牡蠣は、豊かな森から流れ出した水で育つと知ってから、牡蠣をよく食べるようになった。
 先般は、牡蠣を食べるために、宮城県の松島まで出かけた。日本有数の産地で、たらふく食べた。日本三景のひとつである美景を眺めながら、美女と。焼き牡蠣がうまかった。
 東京には、オイスター・バー、レストランが増えた。世界の牡蠣の産地から輸入されており、年中、口にすることができるようになった。
 上記にあげた店以外で、お薦めは恵比寿にあるオイスター・レストランである。ゆったりしていて、くつろげる。おしのびコースかな。